チョコレート革命
窓の外から、暖かな日差しが降り注ぐ午後、いつものように、執務室にて三蔵は、溜まっていた書類に最後の花押を入れ終わり、筆を置くと、かけていた眼鏡をはずす。

一息つこうと、机の引き出しから愛飲しているマルボロを取り出す。
パッケージを破こうとして、その箱の横にくっついていたものに気がつき、ふと手が止まる。

「菓子屋の儲け日か…」
三蔵は、誰に聞かせるわけでもなく、呟く。

煙草の箱の横にくっついていたもの、それは赤いセロファンに包まれた小さなハートの形のチョコだった。

数日前、いつもの煙草屋で買い物をしたところおまけだといって、貰ったものだった。
寺にいる以上、世間のそういう世情には疎くなりがちで、今日がその日だということをすっかり忘れていた。

世間では、女性が男性にチョコレートを送り、愛を告白する日として、賑わっているが、最近では商魂逞しい輩によって、相手には関係なくチョコを送る日となりつつある。
煙草に火をつけ、紫煙を灰まで吸い込むと、三蔵はその小さなチョコレートをつまみあげる。
「菓子屋に踊らされやがって」

幸い甘いものは嫌いなほうではないので、貰った以上ありがたくいただくことにしようと思い、セロファンを剥きはじめる。

三蔵の咥えている煙草が半分ほど灰になったときだった、
廊下のほうが急に賑やかになった。
やがてそれは、どたどたという喧しい足音と共に、執務室の前までやってきて、大きな音をたてて、勢いよく扉が開かれる。

「三蔵ただいまっ!」
満面の笑顔で、小猿が執務室に飛び込んでくる。

「ただいまじゃねぇ!扉は静かに開けろといっているのが分からねぇのか!」
せっかくの穏やかだった時間を邪魔され、三蔵は目の前の闖入者を怒鳴りつける。

だが、悟空は気にしたふうもなく、三蔵の傍までやってくると、三蔵の手にした、剥きかけの赤い包みを興味津々の表情で見つめている。

三蔵、それなに?」
「あぁ?」
悟空の視線を追ってみれば、三蔵の持っているチョコレートへと行き着く。

「これは、チョコだ」
「チョコ?」
赤いセロファンの間から見える黒い塊。悟空ははじめてみるものだった。

「食いてぇのか?」
ぽかんとした間抜け面で見上げられ、三蔵は問いかける。
「食い物?美味いのか!?」

途端に悟空の表情が変わる。期待に満ちた眼差しでキラキラと見つめられ、三蔵は言葉につまる。
悟空の食べ物に対する執着を知っている以上、やらないわけにはいかないだろう。

わかった、やるから手をだせ」
「うん!」

しっぽがあったら、千切れんばかりに振っているだろう。そんな想像をかきたてられる。だが、まじまじと悟空の格好をみて、三蔵の動きが止まった。

「てめぇ、泥だらけじゃねぇか!」
「えー、そうかなー」
えへへと誤魔化すように笑う悟空に、どうりで廊下が騒がしかったはずだと、三蔵は頭を抑える。

「風呂入ってこい!」
切れそうになる堪忍袋の緒を、三つ数えて何とか沈める。

後でちゃんと入るから、それくれよ!」
悟空の頭の中はもはや目の前のチョコレートのことしかない。

『早く』『早く』と喚きたてる、悟空に今度こそ三蔵の、怒りが頂点に達しそうになった、そのときだった。

「俺が触るのがダメならこうすればいいよな!」
そういうが早いか悟空は三蔵の細い手首を掴み、自分の口元に持ってくる。
「なっ…!」

あろうことか、悟空はチョコレートを摘んでいる三蔵の指ごと自分の口の中に導く。
悟空の舌が、溶け出すチョコレートごと三蔵の指を舐めとり、ねっとりとした感触を伝える。
三蔵は、悟空の口腔内に含まれた指先から、何かざわざわとした感覚が背筋を這いあがってくるのを感じ、慌てて悟空の口腔内から、指を引き抜く。

「すげぇ、うまい…」
感嘆したような悟空の声に我に返った三蔵は、ハリセンで思い切り悟空の頭をはたく。

「痛ぇ!何するんだよ!」
「それはこっちの台詞だ。この馬鹿猿!」
顔を赤くしたまま、含まれた方の手をもう片方の手で庇うかのように三蔵は隠す。

「な、な、三蔵、チョコってすっげぇ美味いな!もっとないの?」
「あるか!とっとっと風呂入ってこい!」
三蔵の剣幕に驚いた悟空が、執務室から出ていくと三蔵は疲れたように椅子に腰を下ろした。

「ろくなことしねぇな」
悟空に舐められた手を洗いにいかなければと、三蔵は自分の指をじっと見つめる。
含まれた指は、チョコの欠片も残さずに綺麗に舐め取られており、
眺めていると、ふと先ほど感じた今までに覚えのない感覚が蘇ってくる。
何故か、顔まで赤らんできて、風邪でも引いたかと三蔵は首を傾げた。

「よくわからんな」
三蔵は一人ごちると、自分も手を洗うべく執務室を後にした。



後日、悟空が、悟浄の家を訪ねたとき八戒から、チョコレートを貰った。
『貰いものですが、良かったらどうぞ』という言葉に、遠慮のえのじ字もなく、悟空は嬉しそうに口に放り込んだ。
だが、口にした瞬間何かが違ったのだ。

「お口に合いませんでしたか?」
そう尋ねる八戒に悟空は首をふる。
「ううん、そんことねぇよ美味いよ!」

(なんでだろ、三蔵にもらったチョコはすっげー美味かったのにな)

一体何が違うのだろうかと、疑問に思いながら、悟空はまた、一つ口の中に広がる甘みを噛みしめていった。 
 

END

2006.2.14
コメント
バレンタイン小説とは名ばかりのドタバタコメディに(泣)色っぽい展開にはならず…。無自覚な二人って初々しくて可愛いと思うのですがね。
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