自分が弱い等と、認めたくは無いけれど

 

「捨て子が   
 聞こえてきた、言葉。
ひそひそと、しかし確実に自分に聞かせる心算で言い合っているのであろうそれ。
それを、絳攸は眉一つ黙殺した。言いたい奴等には言わせておけば言いだけの話だ。
 当然の帰結に至り、白い進士服に身を包んだ彼は身を翻した。
 
 
「絳攸!」
 今までどんな言葉を聞いても変わらなかった絳攸の表情が、初めて崩れた。
 眉を寄せ、勢い良く振り返る。
「何だ、この常春頭!」
「おや」
 それを聞いた相手は、怒るどころか楽しげに笑った。
「酷いじゃないか、絳攸。親友であるこの私に対して」
「誰が親友だ、誰が!」
 くすくすと楽しげに笑う楸瑛に、絳攸は更に不快げな表情になった。
「仕事は?」
「今書簡を届けてきたところだ」
「そう」
 呟いた楸瑛は、絳攸の横顔を見て眉を寄せた。
 彼が何か言う前に前から三人の官吏が来ている事に気付き、口を閉じる。
 二人揃って礼を取ると、彼等は立ち止まった。
 その事に苛立ちを覚えつつ、楸瑛は相手の言葉を待つ。
「おやおや、状元殿ではないか」
 矛先は絳攸に向いた。その理由は、恐らく楸瑛が藍家直系であるから。
「拾われた身分で、のこのこと顔を見せられるとは」
 絳攸は顔色を変えなかった。言われ馴れているのだろう。
 彼を案じながらも、楸瑛は笑い出さないようにするのに必死だった。
 
     藍家に喧嘩を売る程の気概も無い小物が、大きな口を利く。
 
 自分は、さして重要な立場にいる訳でもない。にも関わらず、この態度。
 そう思っていると、不意に官吏の一人が言った。
「吏部尚書の閨の心地はどうだ?」
     
 絳攸は弾かれたように顔を上げる。自分の事ならば構わないが、親の事となれば話は別だ。
 怒りの侭に怒鳴ろうとした絳攸よりも先に、楸瑛はくすりと笑った。
「「「「     」」」」
 その場の全員が、一斉に彼を見る。楸瑛は込み上げる侮蔑を隠そうともせず、口を開いた。
「随分と下卑た事をおっしゃいますね」
「黙れ、若造が!」
 楸瑛は更に笑った。
     最初からその態度でいれば良かろうに。
「吏部尚書の前で、同じ事を申してみたら如何です? きっとさぞかし楽しまれる事でしょう」
「「「    」」」
 官吏達はその言葉の意味が判らなかったらしい。よくもそれで官吏をやっていられるものだ。
 台詞に含まれたものを理解した絳攸が、眉を寄せた。にこりと楸瑛は笑う。
「では、私共はこれで」
 そして絳攸の手を強引にひっぱり、その場から離れた。
 
 
「おい」
「………」
  おい!」
「……」
「楸瑛! 放せ、藍楸瑛!」
 絳攸が叫ぶと、漸く楸瑛は手を離した。
 人気の無い回廊だ。振り返った楸瑛を、絳攸は睨み付ける。
「何の心算だ!」
「見ていられなかったからだよ」
「黎深様を侮辱したのは確かに許せないが、俺は平気だ、あれくらい   
    
 楸瑛は溜め息を吐いた。
 それから、絳攸の体を引き寄せて腕の中に納める。
「な  何するんだ、放せ!」
「絳攸」
 その言葉に含まれた響きに、絳攸は動きを止める。
「………何だ」
「泣いて良いんだよ」
   
 彼は一瞬息を止め、楸瑛を上目遣いに睨み上げた。
「そんな事   出来る訳、ないだろうが」
「何故?」
「何でもだ」
「私が信用出来ないからかい? 大丈夫だよ、私は君の味方だから」
「………っ」
 絳攸は唇を噛んだ。
 不覚にも涙が滲みそうになり、押し留める。
もしかしたら    
 もしかしたら自分は、誰かにそう言って貰いたかったのかも知れないな    
 そう、思って。
 絳攸は力を抜いた。
「なあ   
 出来るならば、もう少しこのままで。
 そう言うと、楸瑛が笑った気配がした。
「ねえ、何で私が君の味方なのか、教えて上げようか」
 態と、艶を籠めて。絳攸が身動ぎする間も許さずに、続きを。
「君の事が好きだからだよ、絳攸   
「な   
 絳攸が顔を上げる。
「慰め料」
 くすくすと笑いながら言って、楸瑛は掠め取るように、彼の唇を奪った。

2006.6.17

コメント

太陰弓弦様からの頂き物。15050hitのキリ番でした。『進士時代』の二人をというリクに素敵な作品を頂きました。楸瑛が格好良いです(泣)
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