胡蝶の夢 弐



藍将軍、わたくしとあなたは同じようですが、違う人間です」
「どういう意味でしょうか?」

「そのままの意味ですわ。お互い心に秘めた誰かを想っている」

珠翠はそこで、一旦言葉を切り楸瑛の瞳を真っ直ぐに見返す。
その強い意志を秘めた眼差しは、まるで自分の良く知る彼の人のようだと思った。

「わたくしにご自分を投影なさるのはおやめなさいませ」

一瞬の沈黙。どこかの扉が開いているのか、ゆらりと珠翠の持った手蜀が揺れる。

揺らいだ炎は、ぼんやりとした輪郭を浮かびあがらせその炎に見え隠れするのは、珠翠とはまったく違う、銀の髪を持った怜悧な容貌   

「私は…」

楸瑛は、それ以上言葉が紡げなかった。自分は珠翠のことを想っているのだと告げようとしたが、それは言葉になる前に楸瑛の中で引っかかりを覚え、音として声にだすことができなかった。

「秘めたる相手が誰なのかは詮索を致しませんわ。わたくしは人の心の奥底を暴くような趣味の悪いことは致しません」
そう言って、珠翠はするりと楸瑛の腕の中から抜け出す。

「ただ、ご自分のお心を偽ることは、例えご自身であってもできません」
珠翠は、凛とした声で諭すように言葉を紡ぐ。
「人は、迷いやすいものです。ただ、迷った末に真実を見失わないで下さいませ」

「真実の想い…」
自分の本当の想いは一体どこにあるのだろう。
それは心の深淵に沈めて、自分自身でさえ見ないように目を背け続けていたもの。

それらが、急速に身のうちで浮かびあがってくる。

−伝えてはいけない―

それを認めることは、彼を穢してしまうことになるから。
汚れのない白き花弁のような君を。

「藍将軍、伝える術もない想いは辛いことですね」
黙り込んでしまった楸瑛に珠翠は悲しそうに微笑む。珠翠は、白い繊手をそっと楸瑛に伸ばし頬に触れる。

「御武運をお祈り致します」
「ありがとう。やはり貴女は素晴らしい女性だ。本当に貴女を愛せたらよかったのにと思いますよ」

珠翠は、その言葉にひっそりと微笑むと『お気持ちだけ受け取っておきますわ』と返した。

後宮を後にすると、外朝がみえてくる。

回路を巡り、自然と楸瑛の足は通いなれた、扉の前まで来てしまう。
格子窓からは明かりが漏れており、部屋の主がまだ居残っていることを如実に語っていた。

いつもは人の行き交う回路もひっそりと静まり返っていて、このような夜更けまで残っている官吏は稀であろうことが、みてとれた。

常ならば、気軽に開けられるはずの扉が、今は立ちはだかる壁のようにも思え、楸瑛はしばしその扉の前で立ち尽くす。

「忍ぶれど、色に出でにけり我が恋は…というわけか」

まったくもって、愚かな自分に苦笑する。
ならば、道化は道化らしく、この扉の向こうにいる君を想いながら、寝ずの番でもしていようか。

楸瑛は、扉を背にすると剣を抱えて座り込む。

いつかこの想いを告げる日がきて欲しい。そう願いながら濃紺の空を見上げた。



END


2006.6.10


楸瑛が想っているのは迷子です!これが書きたかっただけ。
しかし、珠翠さん、どこぞの種運のピンクの髪のお姫様みたいです。←説教歌姫。


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