黒猫のタンゴ

「あ、ちょ…さんぞー」
悟空が堪りかねたように声をあげる
「も、ダメだってばっ…あっ」

「てめぇ!妙な声出してんじゃねぇ!」
その声が部屋に響いた瞬間、ニャーという緊張感に欠けた鳴き声が聞こえた。
「だって、さんぞーが、顔舐めるんだもん」
「さんぞーが、じゃねぇ!その名前をやめろ!」
 

 
ことの起こりは、昨夜のことだった。
長旅の疲れと空腹を癒すべく、やっと辿り着いた宿で夕食を取ろうとしたときだった。

「おや、悟空の姿がみえませんね」
用意された夕食の席につこうとしていた八戒が三蔵のほうをみる。
「なんで、俺がいちいち悟空の行方を把握してなけりゃならねぇんだ」
三蔵は心底嫌そうに眉間にしわを寄せる。

「だってよぉ、メシどきにあの猿がいねぇなんて異常事態デショ」
悟浄が、三蔵の言葉を混ぜ返す。
八戒と悟浄の両方から、見つめられ三蔵が口を開こうとしたときだった。

「あー!メシだ!」
悟空が嬉しそうに扉の向こう側から顔を覗かせる。

「悟空、冷めちゃいますから、早くいただきましょう」
八戒がにこやかに悟空に早く席につくようにと促すが、悟空は歯切れの悪い返事を寄越す。

「あー、あのさ、俺の分、部屋に運んでくれない?」
悟空は尚も、食堂に入ろうとはせずに顔だけ覗かせたまま告げる。
これには八戒のみならず、悟浄も三蔵も驚きのあまり顔を見合わせる。
食事を前にして、飛びつかない悟空などそれこそ天地がひっくり返ってもありえないと思えることだったからだ。
「どうしたんだよ、猿」
悟浄が一同を代表して問いかける。

「今、あんま腹減ってねえから後で!」
悟空はそわそわとどこか落ち着かない様子で、早くこの場から立ち去りたいといったふうであった。
「悟空。何を隠している」
挙動不審な悟空の様子に、三蔵が食堂に入ってくるようにと告げる。

「何も、隠してなんかねぇよ!」
明らかに『隠してます』というのがバレバレな態度で悟空は逃げようとする。
だが、それよりも一足早く、立ち上がった三蔵が悟空のマントの端を掴むことによって、悟空の逃亡は阻止されてしまう。
向き直った悟空と対峙した三蔵は、悟空の服の合わせ目からひょっこりと顔をだす小さな生き物の姿を見つけることとなった。
その生き物は金色の円らな瞳で三蔵を見つめ、ニャーと一声挨拶をするかのように鳴いた。

「何だそれは」
「えーと…猫かな…」
二人の遣り取りをみていた悟浄と八戒は何事かと集まってくる。
「まさか、それがお前の今夜の晩飯とか言うわけじゃねぇだろうな」
「三蔵!何てひでぇこと言うんだよ!そんなわけねーだろ」
顔を引き攣らせる三蔵と真面目に答える悟空を前にして、耐え切れなくなったように悟浄が腹を抱えて笑い出した。
こうして、捨て猫だった子猫を拾ってきた悟空は、出発するまでの間という条件つきで、子猫の里親になることになったのだった。
 


「三蔵、吹雪やまないね」
「お前はそのほうが嬉しいんだろ」
窓の外をみながらの悟空の呟きに、三蔵はそっけなく答える。
悟空は先ほどから、子猫を膝の腕に乗せて、宿の女将からもらった毛糸球で、子猫をじゃらしている。
昨夜、初めて見たときには薄汚れていた毛並みも、悟空によって風呂に入れられ、艶やかな黒を取り戻している。

「吹雪がやんだら、出発するからな」
「分かってるって」
本当に分かっているのかと疑いたくなるような、おざなりな悟空の返事に三蔵は眉間の皺を深くする。

「こら、さんぞー爪立てちゃダメだろ」
悟空の服に爪をたてよじ登ろうとする子猫を悟空が優しい口調で窘める。
三蔵はその様子を新聞を読むふりをして横目でちらりと伺う。
昨夜から悟空はずっとこのような調子で、『さんぞー』と名付けた子猫の相手に夢中のようだった。
(何がさんぞーだ。ふざけた名前つけやがって)

ストーブの上に置かれたやかんがしゅんしゅんと音を立てる以外は、悟空の笑い声と時折響く猫の鳴き声。いつも喧しくする片割れの悟浄も今回は八戒との二人部屋であるので、昨夜も今夜も三蔵の愛する静寂が保たれている。
常であれば、これほど気分が良いことはないはずだった。それなのに、どうにも胸の奥がつかえるような妙に苛々とした気持ちなのだ。
三蔵は、読んでいた新聞を乱暴に閉じると眼鏡をはずす。

「寝る」
三蔵は言うが早いか、上掛けを捲りベットに入ろうとする。
「三蔵、寝るってまだ八時だよ?!」
「うるせぇ!俺が何時に寝ようが、てめぇには関係ねぇだろ」
そう告げると三蔵は不貞腐れたように上掛けを頭まですっぽりと被ってしまう。
「三蔵、何か怒ってるの?」
悟空は上掛けの上からそっと肩の辺りに触れ、恐る恐る三蔵に問いかける。
「別に怒ってなんかねぇよ」
現金なもので、先ほどまであれほどささくれ立っていた気持ちが、悟空が触れた箇所から暖かいものがじわじわと広がっていくようで、少しだけ気分が浮上した。

「じゃあ、なんで俺を見てくれないの」
悟空の言葉の端にわずかに詰るような響きを感じて、三蔵は上掛けを跳ねのけた。
「あぁ?俺を見てくれないだぁ?ふざけんな!お前こそ、その猫がいれば満足なんだろ」
売り言葉に買い言葉。思わず漏れでてしまった言葉を三蔵はしまったと後悔したが、一度出てしまった言葉は元には戻らない。

「猫って…さんぞーのこと?」
悟空はきょとんとして瞳を丸くしている。
三蔵は決まり悪げに悟空から視線をはずす。その頬がうっすらと朱に染まっているのは悟空の気のせいではないだろう。

「もしかして、三蔵、さんぞーのことで怒ってたの?」
流石に妬いていたのかとは、言わない辺り、悟空も伊達に三蔵と長くいるわけではないのだろう。そんなことを言えば、この目の前の可愛い恋人は益々臍を曲げることになるのだから。
「だいたいてめぇは、昔から犬だの猫だのを拾ってきすぎなんだよ!いい加減子供じゃねぇんだから分別つけろって俺は言いてぇんだよ」
紅潮した頬を誤魔化す様に三蔵は正論を掲げる。

「ごめん。だって、あの子猫あんな小さいのに吹雪に晒されてて、あのままじゃ死んじゃうって思ったから」
悟空は、ベットの傍らに置いてあった椅子に腰かると、それにと続ける。
「一人ぼっちは寂しいじゃん」
そう言って笑う悟空はやけに大人びていて、独りの年月を過ごしてきたものだけが知る寂しさを十分に物語っていた。
「ふん。知ったような口聞きやがって」
三蔵の口調がいくらか和らいだことに悟空もほっと胸を撫で下ろす。

「なぁ、三蔵キスしてもいい?」
「一々聞くんじゃねよ」
悟空はそれを了承と取り至近距離にある、少し厚めの唇に自分の唇を寄せる。
「ん…っ」
最初は軽く触れるだけだった接吻はやがて角度を変え、深いものへと変えていく。
すると三蔵からは、鼻にかかったような吐息が漏れ、若い悟空はそれだけで、欲望を刺激される。

「なあ、三蔵。今日は寒いから二人で温めあおう」
悟空の言葉に三蔵も悟空の首へと腕を回し、そのままベットへと引き寄せる。
常であれば、猫とはいえ第三者がいる場所で、肌を合わすなど良しとしない三蔵であったが、今夜は違った。
見たければ見ればいい。むしろ見せ付けてやるといった意識が強かった。

(こいつは俺のものなんだからな)
三蔵はもう一匹のさんぞーに向かって嫣然と微笑んだ。

END

2006.3.19



コメント
初出は春コミペーパーでした妬きもち三ちゃん(笑)猫に嫉妬する三蔵は心が狭いんでしょうかね?!うちの三蔵さまはきっちり悟空に惚れてます。かなり盲目的に(笑)悟空も三蔵様一筋です!なんだ結局バカップルじゃん!!(笑)


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