裏・溺れる魚 1
「しゅっ…え…い」
敷布の上を絳攸の細い肢体が逃げるように、ずりあがる。
「何?どうして欲しいの?」
熱を帯びた、吐息を漏らす、絳攸を楽しげに見遣って、楸瑛は意地悪気に問いかける。
絳攸の望むことなど、手に取るように分かるだろうに、絳攸をこうして組み敷くこの男は先ほどから、ゆるゆるとした愛撫を繰り返すばかりで、決して解放の頂まで、登らせてくれない。
「言ってくれなければ分からないよ」
楸瑛は、そっと絳攸の手を取り、その指先に接吻し、そのまま指の一本一本に丁寧に舌を這わせる。
「あっ…っ…」
絳攸は思わず漏らしてしまった声に悔しげにきりりと唇を噛み締める。
その白磁の肌は薄桃色に染まって、楸瑛の目を楽しませる。
絳攸の身に纏っていた夜着はとうにはだけてしまっていて、その役目を果たさなくなっていた。
はだけた夜着から、のぞく細い首筋に唇を寄せれば、鮮やかな朱の花が咲く。
「ま…て、あっ、そこは…」
「大丈夫だよ、ここの位置なら、ぎりぎり官服で隠れるよ」
絳攸の心配を他所に、楸瑛は『おそらくね』と口に出さずに続ける。
楸瑛としては、これくらいの意趣返しは許されるだろうと言いたい。
夜半に急に呼び出せれ、駆けつけてみれば、あろうことか恋人は他の男に組み敷かれていたのだから。
もちろん絳攸から言わせればとんだ災難であって、龍蓮とは、まったく何もなかったというのが真相であるのだが。
それを聞いたとしても、やはり業腹なことに変わりはない。
いくら弟であっても絳攸のことに関してだけは譲れない。
いや、他の誰であっても同じことだといえよう。
自分がこんなに固執する性質だとは思わなかったな−。楸瑛は思わず苦笑する。
幼い頃から、比類なき名門の家の生まれとして、手に入らないものはなかった。
欲しいものも、欲しくないものも最初から溢れすぎていて、一体自分は何を望んでいるのかさえも分からなくなりそうだった。
それなりの年になってからは、どのような女性でさえも楸瑛が望めば、簡単に靡いた。
けれど、どのような相手と関係を重ねても、本気になることはできなかった。
ところが、国試の会場で彼を一目見た瞬間、自分の中の何かが変わった。
何者にも媚びようとせず、ただ、前だけを真っ直ぐに見据える凛とした佇まい。
そのとき感じた気持ちが、恋だと気付いたのは、大分月日が経ってからのことだったが。
「まさに、恋とはするものではなく堕ちるものなのだね」
「あ、なん…の、はなし…だ」
絳攸はじわじわと身のうちを苛む熱に潤んだ瞳を楸瑛のほうに向ける。
いつもは色事とは全く無縁な怜悧な光を浮かべる藤色の瞳は、今は生理的な涙に濡れ、長い睫が震えている。
怪訝そうに聞き返してくる絳攸に何でもないよと応えて、その手を待ち望んでいた箇所に滑らせる。
「あっ…!」
びくりと跳ね上がる肢体を宥めるように、その肌理の細かい肌に唇を落とす。
楸瑛が指を絡めると、既に反応を示していた箇所は、半透明の蜜を滲ませる。
「ふっ、あっ…ァ」
中途半端に燻っていた熱を一気に上昇させられ、絳攸の唇からは堪えきれない、吐息が零れでる。
それでも、未だに残っている理性の欠片が、楸瑛に縋りつくことをよしとしないのか、寝台に爪をたてて、快楽に耐えている。
「絳攸、声を聞かせて」
強請るように囁いても、意地っ張りな恋人は嫌々をするように首を振るばかりで、その頑ななところも愛しいと思ってしまうあたり、自分も大概堕ちているなと苦笑する。
「そう、ならば仕方ないね」
「え…」
絡めていた指をそこから離すと、焦点の定まらない藤色の瞳が楸瑛を追う。
「や…やめ…ぁっ!」
だが、次の瞬間楸瑛が取った行動に、思わず絳攸はその白い喉を曝け出す。
熱い口腔内に含まれて、絳攸はそのねっとりとした感触に高い嬌声を放つ。
「アッ…ぁ…あ」
楸瑛は、その形を知らしめるかのように、舌でなぞり、室内には淫猥な水音が響く。
その音が耳に響くたびに、絳攸は羞恥のために耳を塞ぎたくなる。
けれど、そんな絳攸の気持ちとは裏腹に、肢体は確実に与えられ刺激を喜び、楸瑛の口腔内において歓喜の涙を流している。
「あぁッ !」
張り詰めたそれを一層強く、楸瑛が吸い上げてやると熟れた果実は弾け、白い飛沫を飛び散らせた。
達した後の心地よい脱力感に、絳攸は寝台に沈み込む。
「大丈夫かい?」
荒い呼吸を繰り返す、薄い胸を見遣って、楸瑛はそっと、汗で張り付いた髪を撫でてやる。
すると、その手を振り払うかのように、力の入らない手が持ち上がり、楸瑛の手を叩く。