悪戯なキス



「お菓子をくれなければ、悪戯をしてしまうよ」

 

目の前でにこにこと笑み崩れながら、おかしなことを言ってのける双花菖蒲の片割れにこれは本気で頭が沸いたのだろうかと、絳攸は思った。

 

ここは朝廷で、吏部侍郎室。

悪鬼巣窟の副頭目といわれる李侍郎に与えられた、執務室である。

自分は、目の前にいる男に、府庫から戻る途中で出会い、「重そうだから、手伝おうか」という申し出をありがたく受け、こうしてここまで運んでもらってきた次第である。

確かにこいつがいなかったら、こうも早く戻ってくることはできなかっただろうし(二回に分けて運ぶ予定だった。あくまで道に迷うからではない)

そのことについては感謝している。

 

だが、仮にも王直属の近衛である左羽林軍将軍ともあろうものが、こんな何の悩みもなさそうな顔でへらへらと笑っていて良いのだろうか。

(否、断じていかんだろう)

もしかして、これは本気で絳攸の知らない領域に行ってしまったのだろうか。

数泊のあと、絳攸はやっとのことで言葉を搾り出す。

「お前、常春だ、常春だと思っていたが、とうとう…」
「失礼だね絳攸。私は労働に対して、正当な報酬を要求をしているだけだよ」

楸瑛は大仰な素振りで掌を上に返すという何とも理解不能な仕草をしてみせた。

「労働だと?」

「そう。私は君が重そうな資料を抱えてよろよろ歩いていたのを助けてあげたのだから、それに対しての見返りがあっても良いのではないかな?」
「見返りだと?礼なら先ほど言ったが」

絳攸は些かむっとしたような表情で楸瑛の瞳を見据える。

困っている人を助けるのは当然のことであって、それに対して、報酬などと言い出すような輩ではないと思っていたが、どうやら自分の認識が間違っていたのだろうか。

「だから、お菓子か悪戯かどちらかを選んでと言っているんだよ」
「…楸瑛、悪いが話が見えん。込み入った話なら後にしてくれないか」

絳攸は、これ以上相手にしていると仕事がまったく進まないと判断し、楸瑛を追い払う算段に出ることにした。

「西の方のお祭りで使う合言葉だよ。収穫を祝うお祭りだそうだよ」

「収穫?」
「そう我国でも先日、主上が先祖を敬い、収穫を感謝する宮中行事が行われただろう?あれと似たようなものだよ」

楸瑛は、絳攸が食いついたのを見て取って、丁寧に説明をする。

曰く、主に南瓜に目鼻や口をつけてやること。
お菓子を求めて、街中を練り歩くこと。

絳攸は初めて耳にするその西の方の祭りとやらに少しだけ興味を抱く。
それにしても何故、菓子と悪戯が関係しているのだろう。

「この日はね、お菓子か悪戯かといって、流行に敏感な人たちの間では既にこのお祭りを楽しんでいる人もいるんだよ」

だから、聞かれたら答えるのが礼儀なのだよとつけ加えられる。
そんなことがいつのまに流行していたとは、吏部と主上の執務室を行き来する毎日では気が付かなかった、新たなる発見だ。

「といっても生憎菓子はないんだが…」

きょろきょろと周囲を見渡してみるが、そんなものは常備されていない。

「じゃあ、悪戯がお好みかな?」

楸瑛は机案に身を乗り出すようにして、絳攸の半分ほど髪で隠れている耳朶を甘噛みする。

「〜っ!!」

途端、何ともいえない痺れるような感覚がぞくぞくと背筋を這い登り、絳攸は肌を粟立たせる。

「待て!待て!思い出した!菓子ならあるっ!!」

絳攸は必死に腕を伸ばし楸瑛を突っぱねると、机案の引き出しから、小さな巾着を取り出す。

「もらいものだが、結構美味かった。これを舐めれば、喉の調子が爽快になるぞ」

引きつった笑顔を無理やり浮かべて、どうにかこの場をやり過ごそうとする。
のど飴の入った巾着ごと楸瑛に押し付けるようにして差し出す絳攸に楸瑛は面白そうに軽く眉をあげる。

「では、遠慮なく報酬をいただくよ」

楸瑛は巾着を握った手を引き寄せ、その手の甲に軽く唇を落とす。
絳攸は『ぎゃあ』とも『わぁ』ともつかぬ悲鳴をあげて、慌てて手を引っ込める。

「さ、さっさと行け!礼はこれでしたからな!!」

菓子だの悪戯だのこれ以上分けの分からないことで、神経をすり減らすのはごめんだと絳攸は、扉の方を指し示す。

「はいはい。では仰せのままに」

その言葉に絳攸が安堵したのも束の間、唇に柔らかいものが触れて、絳攸は驚きに目を見張るが、それはまさに一瞬の出来事で、気が付けば、楸瑛の整った貌が離れていくところだった。

「私にとって、何よりのお菓子は君だから」

甘い誘惑に耐えられなかったんだ。だから貰っていくね。と片目を瞑ってみせる。
その一言で、絳攸の沸点が一瞬にして超える。

「出て行けー!!」

後には顔を真っ赤にさせた絳攸が、手当たり次第にそこらにあるものを投げつける姿と、

器用にそれらを避ける楸瑛の姿があった。

侍郎室の騒ぎは吏部官たちにも届いていたが、夫婦喧嘩は犬も食わないとばかりに無視を決め込まれ、己の職務をひたすら全うするべく奮闘する官吏の鏡ともいうべき姿がそこにはあるのみだった。

 こうして彩雲国の朝廷内における、『南瓜の祭り』は幕をあけたが、朝議において、『朝廷内の品位を下げる』という某、悪鬼巣窟の親玉からの意見により、この催しは沈静化しやがて、銀杏が振る頃には誰もがいつもの日常に戻っていった。

絳攸もまた、こんな心臓に悪い催しが流行することがなくなり、本当によかったと胸を撫で下ろすのだった。

 



2008.10.26UP




コメント

常磐様、相互記念。すっかり遅くなってしまいましたが、ハロウィンネタです。
何とか滑り込みセーフ。久々常春な楸瑛を目指してみました。絳攸が珍しく押されっぱなしです。

 

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