―はじめに―
『純情ウイルス大作戦』企画より。

純情ウイルスとは、くしゃみによって引き起こされる謎のウイルスによって、どんな遊び人であろうと純情になってしまい、キスで効能が醒めるという恐ろしいウイルス。
(組み合わせはあみだ。香奈子担当は黎深と玖琅でした)


純情ウイルス大作戦




贅をつくした室内には、手にした扇を不機嫌そうに揺らす男と、彼とどことなく似通った風貌を持つ、幾分年下であろう男が向かい合って座っていた。
「黎兄上」
卓子を挟んだ向こう側から、呼びかける。だが、呼ばれた方の男、紅家当主である、紅黎深は目線を寄越そうともせず、扇を手にしたまま明後日の方向を向いている。
「黎兄上、次の春節には、今度こそ紅州にお戻り下さい。ここ何年も当主不在では一族に示しがつきません」
「示し等、私の知ったことか。それに伴うことは百合や絳攸が色々手配はしているではないか」
何の問題がある。とばかりに黎深は鼻をならす。
「そういった問題ではありません。何も紅州に腰を据えろと私は言っているわけではありません。お姿をお見せになるだけでよいのです」
「当たり前だ!誰が紅州になぞ帰るか!第一―――クシュッ」
そのとき、緊迫した空気を破ったのは黎深のくしゃみであった。
「お風邪でも召されたのですか?」
「お前の知ったことでは…」
『ない』と告げようとして、黎深は言葉を飲み込む。
玖琅が心配そうに眉をひそめて、黎深の方を見ているではないか。
その様に、何故か黎深は心拍数が跳ねあがるのだった。
(な、一体どうしたというのだ私は!)
「黎兄上?顔が赤いようですが?」
一体どうしたということなのだろうか、玖琅の顔が急にまともにみられなくなるなど。
まるで、初恋の少女を前にした少年のような甘酸っぱい気持ちが不意にこみ上げてきて、黎深は決まり悪げに、手の中の扇子を意味もなく閉じたり、開いたりと、もじもじと弄り倒す。
(今までずっと、髭など生やして気に入らんと思っていたその顔でさえ、急に好ましく思えてくるではないか)
「く、玖琅…」
「黎兄上、本当にどうなさったのですか?」
急変した黎深の態度に玖琅は、胡乱気に眉を寄せるが、それすらも黎深を心配してのことだと思うと目が合わせられなくなる。
玖琅は玖琅で戸惑っていた。自分と応対するときは、いつも不機嫌極まりない表情で取り付く島を与えない兄が、今日に限っておかしい。
やたらとぐねぐねして、今にも卓子にのの字でも書きそうな雰囲気だ。これは薬師を呼ぶべきかと玖琅は本気で思う。
「誰か、誰かある!」
玖琅は手を鳴らして、家人を呼ぶ。
「何のつもりだ!」
「何のつもりも、何もありません。黎兄上のご様子がおかしいので、薬師の手配をと思ったまでです」
黎深はその言葉に打ちのめされる。やはり、今までの行いが悪かったのか。せっかくこうして兄弟水入らずで過ごしているというのに、玖琅は嬉しくないらしい。
「私は、薬師などいらん!余計な真似をするな!」
「ですが、黎兄上…」
ガクリと項垂れたかと思うと次は子供のように膨れる兄の姿は、はっきり言って不気味だった。黎深のおかしな姿など、一番上の兄の前でしか見たことがなかったので、自分がいざ対面するとどうして良いかわからなくなる。
玖琅の呼びかけに、家人が少しの間を置いてやってくる。
「絳攸をここに」
迷った挙句、玖琅は兄の養い子の名を告げる。
もしや、絳攸ならば、兄のこうした姿の原因を知っているやもしれないと考えたからであった。
「玖琅!そんなに私のことが嫌なのか!それほどまでに私と二人でいるのは嫌なのか!」
不意に黎深が卓子を叩き、立ち上がる。
普段、冷静な玖琅も奇矯な振る舞いの多い、兄の姿にさすがに逃げ出したくなった。
これは黎深なりの新たな嫌がらせなのであろうか。
「れ、黎兄上、そのような態度で誤魔化そうとしても無駄です。何が何でも、今回こそは、紅州にお戻りいただきます」
その言葉に、黎深の表情がくしゃりと歪む。
「そうか、お前の気持ちはよく分かった。それほどまでに私を嫌っていたとは…」
「黎兄上、一体何のお話ですか?」
さっぱり話が見えず、たじたじになりながらも生来の生真面目さ故につい、問いただしてしまう。
「玖琅。ならば、せめて一度で良い。思い出が欲しいと言ったら笑うか」
黎深は袖で、顔を覆う仕草をすると、目の端に光るものを拭いた(ように玖琅にはみえた)
そうすれば、綺麗さっぱり忘れよう。と言われても、何を綺麗さっぱり忘れるのか皆目検討もつかない。
「よく分かりませんが、それで黎兄上が納得するのであれば」
「そうか。ありがとう玖琅」
全開の笑顔で言われ、背筋が寒くなったのも束の間、思いがけぬ強い力で肩を掴まれる。
「黎兄う…」
唇に柔らかい感触を覚え、玖琅はそれが、黎深の唇だと確信し、肌が総毛だつ。
そのときだった。
「失礼いたします。玖琅さま、お呼びとあり絳攸、参りました―」
間の悪い事とは本当にあるものなのだと、このとき玖琅は身を持って経験した。
拱手し、顔をあげた絳攸がみたものは養い親と、尊敬する義理の叔父の接吻というとててもない衝撃の現場だった。
「し、失礼しました」
一瞬の後、時間が止まったような場を破ったのは、絳攸の慌てた声だった。
絳攸はそのまま、何事もなかったように一礼を二人にすると、室から出て行く。
「玖琅?!貴様何をしている!あ、待て絳攸!私が待てといっているのだぞ!」
どうやら、元に戻ったらしい黎深が、珍しく慌てふためき混乱したまま、養い子を引き留めるが、その言葉も聞こえないのか絳攸はふらふらと覚束無い足取りのまま去っていってしまった。
「水だー!水と杯を持て!口の中を清める!ええい、玖琅!貴様はとっとと出て行け!」
ペッペッと口の中のものを吐き出す大貴族に相応しくない、品位に欠けた振る舞いをみせる黎深に玖琅は呆れながら、止めを刺す。
「黎兄上、言っておきますが貴方から、私にしてきたことです」
落ち着き払って言う玖琅に黎深の中の何かが切れた。
「だから、お前など大嫌いなんだ――!」
紅家別邸に咆哮のような黎深の声が響くのだった。



余談だが、ふらふらと彷徨った挙句、何故か藍邸に辿り着いた絳攸が『今夜は帰りたくない。お前のところに居たい』などと言って、楸瑛を喜ばせたらしいが、くしゃみによって引き起こされた謎の症状によって、楸瑛もまた、絳攸の手を握ることさえも恥じらい、せっかくのご馳走を逃したというのはまた別の話である。
 

2006.11.8


   
コメント

とことんアホなノリを目指しました。黎深さまは妄想&暴走系なので、動かしやすかったです(笑)9月の彩雲国オンリーの三次会での企画でした。本当に発足するとは…。黎深×玖琅(笑)もしかして初の組み合わせかも…?!
ちなみに双花の感染中の出来事はご想像にお任せします。きっと絳攸はさぞ不気味な思いをしたでしょう(笑)

                

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