金魚花火









今まで、自分の生きる道というものに疑問を持ったことはなかった。
全ては家にとって益かどうか。益であれば、利用し、不利益となるならば、切って捨てる。
それだけだった。

それが劇的に変わったとき、世界はこんなにも広かったのかと、初めて気が付いたのだった。
 
 
その夜、宮中の警護の為に、巡回していた楸瑛は、人気のない庭院の片隅にぼんやりと立ち尽くす姿をみつけた。
満開の桜の下、宵闇に映える白い花弁を見上げ、ただじっと天を見上げている。
「絳攸、こんなところで、何をしているんだい?春とはいえ、夜は冷えるよ」
驚かせないように、わざと腰に刷いた剣の音をたてて近づけば、声をかけられた人物はゆっくりと振り返る。
「楸瑛か」
思いのほか、険しい表情をして振り返った絳攸は楸瑛の姿を認め、再度眉を顰める。
「そんな怖い顔をするとせっかくの美しい顔が台無しだよ」
「相変わらずの常春頭だな。少しはそのよく回る口を閉じたらどうだ」
楸瑛の物言いにますます柳眉を吊り上げ、冷ややかに楸瑛を見据える。
「では、また迷ったのかい?」
「違う」
絳攸の受け答えに、どことなくいつもの覇気がないように感じられ、楸瑛はおやとばかりに片眉をあげる。
「主上は、桜は思い出の木だから好きだと言っていた」
唐突な話題に、面食らうも、昼間の執務室での会話を楸瑛も思い出し、そうだねと相槌を打つ。
王にとって桜は運命の少女との出会いを意味する大切な木だった。
それを少し照れながら、それでも嬉しそうに王は言って、『今度、皆で花見をしよう』などと、能天気にはしゃぎ、絳攸に真面目に仕事をしろと、一喝を食らっていたのだった。
「俺は、あまり好きではないな。桜は、こちらの思いなど知りもしないで、さっさと散ってしまうからな」
ぽつりと絳攸は言って、幹に手をつくと、上を見上げる。
闇に浮かびあがる、白い花弁は燐光を放ち、幻想的な美しささえ覚える。
 
「だからこそ美しいと言えるのではないかな。舞い散る桜弁もまた一興だよ」
「風に乗って花弁は遠くへとか。まるで旅立ちのようだな」
春は、大幅な人事の異動が行われる季節である。絳攸の立場からいって、それらの情報はいち早く知ることができるが、それだけであるならば、このように感傷的ともいえる言葉を呟かないだろう。
聡い楸瑛には絳攸の言葉の裏に隠された意味を正確に読み取り、困ったような笑みを浮かべる。
「あのときのことは謝るよ。主上にはもちろん、君にも辛い思いをさせたね」
あれから、一年は過ぎただろうか。楸瑛は『花』を王に返上し、御前を辞すると行って宮中を去っていったのだった。
遠い昔のことのようにも、つい昨日のことのようにも思えるから不思議なものだ。
あのときは、それしか選択史が残っていないと、自分で自分を盲目にしていたのだったと思う。自分とて悩みぬいてだした答えで、苦しかったのだと言ったところで、今となっては勝手な言い草だ。
「別に俺は辛い思いなどしていないがな」
「では、私が去ると知って寂しかった?」
楸瑛はすっかり冷えてしまっている手を取り、ぬくもりを分け与えるかのように、そっと包み込む。
「寂しいとか、そういう感情はなかったな。お前の立場というのも分っているつもりだったしな」
珍しく手を振り払うこともなく、素直に楸瑛の好きなようにさせたまま、淡々と言葉を紡ぐ。
「ただ、自分の無力さを感じた。俺は紅家の人間でもなんでもない、ただの李絳攸なのに、お前に何もしてやれなかった」「絳攸ごめん」
「謝る必要はない。あのときは俺も迷いがなかったと言ったら嘘になる。迷いのある人間に引き止められてもお前は歩みを止めないだろう」
楸瑛は、喉に苦いものが込み上げ、思わず絳攸を抱きしめる。
あのとき、自分の背を見送った絳攸はどんな思いで見送ったのだろう。
背を向けていても、絳攸の視線は感じていた。振り返れば、決意が鈍りそうで、ただ、足を前に踏み出すことしかできなかった。
絳攸が自分の無力さを責めるのはお門違いだ。あのとき真っ暗闇の中にいた楸瑛にとって、いくら絳攸が何を言おうとも、その闇はあまりに深くて届きはしなかっただろう。
「あのときは、これが一番最良の選択だと思っていたのだよ。けれど、私はどうやら、いつも進むべき道を間違えるようだね」
これでは君のことを笑えないね、と楸瑛は苦笑する。
絳攸は強い。その細い体のどこから、そんな強さがでてくるのか、楸瑛はいつも驚かされてばかりだ。
楸瑛と対峙したときの絳攸は、己の中で何がしかの答えをみつけていた。ただ、それをまだ形にできていなかっただけのことであって、霧の中を彷徨っていた状態の自分とは大違いだ。
「それでも、お前はここに戻ってきた。今度は自分自身の意思で。今ここに居る。だから、それでいいんじゃないか」
ざわりと風が吹き、白い花弁が雪のように一斉に舞う。
絳攸としてみれば、自分が感傷的になって、漏らした言葉に楸瑛にここまで反応させてしまったことが申し訳なく、自分よりも広いその背に腕を廻し抱きしめ返す。
「うん。そうだね。これからはずっと君と共に主上の側にいるよ」
「当たり前だ。お前がいない間、俺がどれだけ好奇の目を浴びたと思っている!中には王の寵愛を一人占めするために、俺がお前を追い出したとかいう馬鹿な噂まであったぞ!」
「それは、また何と言っていいかだねえ」
人の口に戸口は立てられないというが、また大胆な予測をたてる者もいたものだと楸瑛は、呆れる。おそらく、その噂を広めたものたちは、何者かによって、今頃宮中からことごとく姿を消しているに違いない。
かくいう、自分も再び間見えたとき、紅の衣を纏ったあの方に虫けらでもみるかのような視線を向けられたなと思い出す。
「お前がこれでまたいなくなったりしたら、俺は今度こそ貴様と縁を切る」
「肝に銘じるよ。絳攸」
強い視線が楸瑛を射抜く。嘘、偽りは許さないという真っ直ぐな瞳だ。
それは、まるで闇夜に浮かぶ月のように冴え冴えとした眼差しだった。
何故、自分はこの存在なしに生きていかれると思ったのだろう。
魚が水なしでは生きられないように、自分もまた出会ってしまったのだ。
藍楸瑛を照らす、月に。
闇路を行くものを照らし出す、淡き輝きは昼の光がまぶし過ぎる楸瑛にとっては丁度良いのかもしれない。
「私は、愚かだったけれど、人を見る目だけは曇っていなかったようだよ」
そう言って、腕の中に閉じ込めた絳攸から香る微かな墨の匂いに、今ここにいる存在が決して幻ではないことを確信する。


腕の中の絳攸が身じろいだことによって、腰に佩いた刀が楸瑛に僅かにぶつかる。
その刀は確かな重みを楸瑛に伝える。鍔に彫られている模様は以前と変わらないが、変わったのはその重み。
以前は、その重みに押しつぶされそうだった未熟な自分が居た。
けれど、今は違う。模様の意味を真実受け止めた今は、時にその花を彫った刀の重圧に身が引き締まる思いがする。
だが、それは以前のような鉛のような重さではなく、心地よい重さとなって楸瑛の身に馴染むのだ。
「お前が花の重みに耐えられなくなったら、俺が半分背負ってやる。二輪しかない貴重な『花』だからな。枯らすわけにはいかないからな」
「それは頼もしいね。けれど、愛しい君にそんな思いをさせたら、私の男が廃るよ」
くすりと笑って、どんな女性でも頬を赤らめる艶めいた笑みを送っても、この愛しい恋人は嫌そうに眉を寄せる。
「だから、そういう台詞は言われて喜ぶ女共にいってやれ!」
「つれないね。こんな逢瀬にお誂え向けの場面でそれはないんじゃないのかな」
すっかり、いつもの調子を取り戻した楸瑛が軽口を叩けば、案の定、絳攸からは勢いよく罵声が飛び出す。
「怒った顔も魅力的だけれど、笑った顔の方が何倍も君は魅力的だよ」
「お前の頭にはそんなことしかないのか!」
「そんなことなんかではないよ。私にとっては最重要事項だよ。君の笑った顔がみたいんだ」
頤に指をかけ、顔を覗き込めば、絳攸は薄く頬に朱を引き、楸瑛の視線から逃れる。
「お前の最重要事項は随分お手軽なんだな」
絳攸は誤魔化すように、ぶっきらぼうに言ってのけ、『主上との花見の約束はどうした』とどうでもいいようなことを照れ隠しに聞いてくる。
「花見?君が嫌でなければ手筈は整えるよ」
楸瑛は先程、絳攸が言った桜の話を思いだし、気遣うように絳攸を伺う。
「さっきは、つまらんことを言った忘れてくれ」
「では、私は桜の季節が来るたびに自らの戒めとしよう」
桜が散って、若葉の季節となり、太陽が空を焦がし、紅葉が訪れ、一面の白い雪が地を覆いつくす季節になり、また桜の季節が再び巡ってこようとも、もう自分の居場所はあの美しい水の都ではないのだ。
魑魅魍魎が跋扈する巣窟であっても、ここが自分の生きる場所だと決めたのだ。
「絳攸、花見の後は、何をしようか?暑い夏には涼を求めて金魚を取り寄せようか。それとも花火を作らせようか?」
「花火?何だそれは?」
きょとんとした表情で、初めて聞く単語に絳攸は藤色の瞳を瞬かせる。
「夏の夜空に咲く大輪の花だそうだよ。東の国から来たという異人が昔、話していた」
「大輪の花…か」
楸瑛の説明を聞いた絳攸は暫し、どのようなものか想像するように夜空へと視線を移す。
暗い夜空を彩る光の花は宵闇に映えてさぞかし美しいことだろう。
「きっとそれは綺麗だろうな」
ふんわりと、絳攸にしては珍しい肩の力が抜けた自然な笑みが漏れる。
「うん。君と見てみたいものだよ」
そうして、自分たちも下賜の花の銘に恥じない大輪の花となって、王の傍らで咲いてみせよう。
もう、自分は闇夜を迷うことはないのだ。
楸瑛の行く道がどんなに険しいものであっても、その先を照らしてくれる月光があるのだから。
楸瑛はもう一度、その想いを確認するように目の前の常蛾に、ゆっくりと唇を寄せるのだった。
 
 
2007.4.3
コメント
花火はこの時代にはありませんね(汗)はい。分かっています。でも大○愛ちゃんの曲があまりに可愛かったので。自分なりの青嵐の後、未来予想図()楸瑛が、あまりにへなちょこだったのでね…。まぁ雑種の方が生命力強いからねーという話。
常蛾は月に住むといわれる仙女の名前です。美女らしいですぞ!

 

 

 

 

 

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