恋唄
「何だ、これは?」李絳攸がそれを手にしたのは、ほんの偶然からだった。
この府庫の主である、潔ツを訪ねてきたものの、尋ね人はつい先ほどまで居たらしくまだ、空になっていない茶器や、広げたままになっていた書物などが置いてあった。
潔ツがいないのでれば、自分が探している書物の在り処は、自力で探すことになる。
それは、この膨大の量をみると、とても骨が折れる作業に思えた。
ならば、潔ツが帰ってくるまで、待ってみるかと、開庫のほうへ、移動しようとして絳攸は、積み上げてあった、書物の山にぶつかってしまった。
慌てて、それらを元に戻すうちに、手に取った一冊の書物の題名をみて首を傾げることとなったのだった。
「これは、恋愛話だよな?」
(潔ツ様でもこのようなものをお読みになるのだろうか)
絳攸とて、巷で大変な話題になっているこの書物のことを耳にしたことくらいはある。
「潔ツ様が読まれるくらいだから、存外面白いのかもしれないな」
絳攸は、潔ツを待つ間の暇つぶしとして、長椅子に腰掛けると、頁を捲り始めた。
書物というのは、どういう類のものであれ、興味深いものだった。
いつの間にか、絳攸は話の筋を追うのに没頭していて、書庫に他の人物が入ってきたことにも気がつかないほどだった。
「何をそんなに熱心に読んでいるんだい?」
ふいに上から降ってきた声に絳攸は現実世界に戻され、驚いたように書物から顔をあげる。
「楸瑛…」
顔を上げた先には、いつもの笑みを浮かべた腐れ縁の知己が自分を覗き込んでいた。
「君をそんなに、夢中にならせるなんて、書物とはいえ妬けるね」
どんな女性でも虜にしそうな華やかな笑みを見せ、楸瑛はのたまう。
「言っていろ、常春」
絳攸は呆れたように、言い書物を閉じる。
この腐れ縁の知己はいつもこうしたふざけた物言いをするので、絳攸とて一々真面目に受け取っていられなかった。
「私は、極めて本気なんだけれどね。ところで、君が恋愛小説を読みふけるなんて、明日は嵐かな」
「別に、好んで読んでいたわけじゃない。潔ツ様を訪ねたら、いらっしゃらなかったので戻られるまでの時間潰しだ」
「成る程ね」
普通なら、訪ね人がいない場合はまた、後で訪ねるという選択肢もあるが、彼の場合はその再度訪ねるというのが非常に苦労する事柄なので、絳攸が言う、待っていたというのは正しい在り方なのだろう。
「ところで君、その話の結末を知っているかい?」
楸瑛は、一通り納得すると、先程まで絳攸が読んでいた書物を指し口の端に、にやにやとした笑いを浮かべる。
楸瑛が、こういう表情をするときは、大抵碌でもないことを考えているときだったから。
絳攸は警戒心を強めながらも、口を開く。
「結末も何も、まだ、ほんのさわりしか読んでいない」
「そう。でも触りだけでも何か感じるところはないかい?名家に生まれたもの同士が、敵の家と知りながら恋に落ちるなんてさ」
楸瑛は、そこで一旦言葉を区切ると、ふいに顔を近づけ囁く。
「まるで、紅藍両家に属する私たちのようじゃないか」
「何を言っているんだ貴様は!」
絳攸は自分の嫌な予想が当たったことにより、ついに大噴火を起こす。
「この物語の結末は二人の死という悲劇で終わるのだけど、私はそんなヘマはしないよ」
楸瑛は、そう言い、絳攸の手を取る。
「もし、この話のように引き裂かれそうになったら、駆け落ちでも何でもしよう。君と会えない世など、生きている意味がないからね」
「ふざけるな!誰が駆け落ちなどするか!第一俺は男だっ!」
この常春はとうとう、自分の性別まで分からなくなったというのか。
憤慨する絳攸を他所に楸瑛は、一人楽しそうにしている。
いつもの冗談だとしても性質が悪すぎる。このままでは、うっかりこの常春男を信じてしまいそうになるではないか。
絳攸は自分の恐ろしい考えに慌てて首を振ると、手にした書物を楸瑛に向かって投げつけたのだった。
2006.9.16
霞上さまに以前捧げたものを、こっそり再UP。双花はロミジュリだと思います…(笑)
というわけで、絳攸が読んでいたのは、中国版、ロミジュリ。そんなんあるのか!?というツッコミはなしの方向で(笑)