彩雲国版 マリア様がみてる 8
「私は…。お前のことはよく分からない。いつもふざけたことばかり言う常春だし、スキンシップは過剰だし。でも、不思議と嫌いではないな」
その言葉を聞いて、楸瑛の表情が心なしかほっとしたように感じたのは絳攸の気のせいであろうか。
「よかった。嫌いって言われたら、どうしようかと思ったわ」
恐らく、絳攸が抱いている気持ちは楸瑛のそれとはちょっと違う。
それでも、今まで、彼女の世界の住人は黎深ただ一人だったことを思えば、これは相当な進歩といえよう。
最初から多くを望み過ぎても、それは性急というもの。「さてと、絳攸、そこの椅子にかけて。リボンを結んであげる」
楸瑛は鞄からブラシをとりだすと、絳攸の髪を結い直すべくその柔らかな髪に手を伸ばす。「あ、楸瑛ちょっと待った」
ブラシを持った楸瑛を絳攸が静止するよう、絳攸が向き直る。怪訝そうな表情の楸瑛に構わずに、楸瑛の髪を手櫛でもって整えると、絳攸は今しがた楸瑛から受け取った赤いリボンを結ぶ。
「絳攸?」
「お前の髪は真っ直ぐで、さらさらしているから束ねるのが大変だな」楸瑛は一体どうしたことかと、絳攸をみやるが、絳攸は自分の仕事の出来に満足そうだった。
「楸瑛、嬉しかった…。カードをみつけてくれてありがとう。だから、これはお礼だ」
あのカードは自分の心そのもの。紅薔薇のつぼみでもなく、黎深の妹でもなく、一人の李絳攸としての自分はここに居る。もしかしたら、そう言いたかったのかもしれない。
自分でも持て余す、心を探しだしてくれた人。
「そう。ありがとう」
大輪の花が綻ぶがごとくの楸瑛の微笑みに知らず、絳攸も頬を染める。
「好みじゃなかったら、適当に処分してくれて構わないから」
照れ隠し故か、そんな憎まれ口を利く様も楸瑛には好ましく思える。「あなたからもらったものですもの。何だって嬉しいわ。大切にする」
そう言って、楸瑛は本当に嬉しそうにリボンで束ねられた自らの髪に触れる。「もう暫く、あなたとこうしてお話していたいけど、さすがに火の気のない場所でこの寒い中いつまでも居たら、風邪をひいてしまうわね」
楸瑛の言葉に、絳攸は改めて寒さを覚え、身体を震わす。入ったときには暖房の残りで幾分暖められていた室内も、今となってはすっかり冷え込んでいる。
「お前と、一緒に寝込むなんて確かごめんだな」
「あら、それもまた運命ってカンジがして、私は素敵だと思うけれど」コートを着て、マフラーを巻いていた途中だった絳攸は、その言葉に一気に脱力する。
やはり、礼などするべきではなかった。こいつは単なる常春だった。とほんの少し後悔する。「冗談よ。好きな人が風邪をひいて嬉しい人間なんていないわよ」
二人は鞄を取ると、薔薇の館を後にした。
外に出ると、すっかり日は暮れていて吐く息が白い。絳攸は思わず、自分の手に息をはぁと吹きかける。「もうすぐ三年生は卒業ね」
楸瑛は、さりげなく絳攸の手と自分の手を繋ぐとぽつりと言った。「そうだな…」
楸瑛の手の温もりがじんわりと冷えた手に広がっていく。冬の澄んだ空気は嫌いではないが、妙にしんみりとしてしまう。
それきり口を噤んだまま、ただ歩みを進めていると校門に至る二股の分かれ道にあるマリア像の前まで来ていた。
マリア像の前には先客がいて、今日一日を無事に過ごせたことををマリア様に報告しているようだった。
「卲可さま」
楸瑛の呼びかけに、絳攸ははっとなる。「おや、楸瑛殿と絳攸殿。私はもうお祈りをすませましたからどうぞ」
彼女はそう言って微笑むと、ついと正面から避ける。「ええ、では」
入学した当初は戸惑った、リリアンの習慣である朝と下校時のお祈りも今では、すっかり学園生活の一部となっている。
マリア様に向かって今日一日の目まぐるしい出来事を報告し終えると そこには、静かな眼差しで二人を見守っている卲可が佇んでいた。
「よろしければ、一緒に帰りませんか」
穏やかな笑みで語りかけられ、二人に否やはもちろんない。「随分、長いことお祈りしていらしたのですね」
「ええ、もうすぐこの場所ともお別れですから。このマリア像にお祈りするのも後、僅か。そう思うとついあれこれと祈ってしまって」―卒業―。ふいにその二文字が現実味を帯びてつきつけられる。
もうすぐこの場所から卲可はいなくなってしまう。
そのとき、黎深はどうするのだろう。大切な人の気落ちする姿はみたくない。もちろん、絳攸にとっても卲可はありのままの自分を安心して見せられる数少ない貴重な人だ。その、穏やかな人柄にどれほど、癒されたことだろう。
「大丈夫ですよ。春になれば、新しい風が吹きます」
絳攸の心中を見透かしたように卲可が言う。「それに貴方は、一人ではないでしょう」
卲可の視線の先には楸瑛がいる。楸瑛もその言葉に頷くように、先程まで繋いでいた手を再びぎゅっと握り締める。そうだった、自分は一人ではないのだ。傍に居てくれる人がいる。
「私が居なくなった後、あの子が色々と迷惑をかけるかもしれませんが、許してやってくださいね」
少し困ったように卲可は告げる。卲可は案外このことを言いたくて、絳攸たちを待っていたのかもしれない。
「楸瑛殿、あなたのお姉さまたちにはお世話になりました。感謝していますとお伝えください」「それは、御自分の口から直接言われた方が、姉たちも喜ぶと思います」
楸瑛の言葉に、卲可はそうですね。と頷く。
「今日は本当に楽しい一日でした。あなたたちのカードは見つけられませんでしたが、良い思い出ができました」
「卲可さまも参加なされていたんですか?!」これには二人とも驚きを隠せない。
「ええ、黎深たちが面白い催し物をすると言うので、僭越ながら私も参加させていただきました」
成る程。それで、謎がとけた。くだらないと一蹴しそうな企画をここまで念入りに準備したのは、偏に卲可の存在があったのかと楸瑛と共に顔を見合わせる。
「本当に仲の良いことですね。これならきっとあの方も大丈夫でしょう。あなたたちなら任せられる」
「あの方?」にこにこと微笑みながら、不思議なことを言う卲可に首を傾げるが、門のところまでくると、卲可は寄るところがあるからと言い残し、楸瑛たちとは逆の方向へと去っていった。
「誰のことを言ったんだ?」
「さぁ?」楸瑛に問いかけるが、彼女も心当たりはないようだった。
「もしかしたら、これも春になれば分かることなのかもしれないわね」
先程、卲可が思わせぶりに言っていたことはその辺のことも含んでいるのかもしれない。「そうだな」
楸瑛の台詞にほんの少し気分が浮上する。卲可はここからいなくなってしまうけれど、春になれば新たな出会いがある。それを繰り返して、学園という場所は成り立っているのだから。
「ところで、絳攸デートはいつにしましょうか」
「お前、本気なのか?!」
「もちろん。あなたは冗談だと思っていたの?」楸瑛は少し怒ったようなポーズで、絳攸に詰め寄る。
「…そうだな。じゃあ、春休みになったら考える」
ほんの少し頬を赤らめて、そっぽを向きながら言うボソッと言う彼女がどうしようもなく愛しく思える。
「そう。なら約束よ」楸瑛はそう言って、絳攸の前に小指を差し出す。絳攸も渋々ながら、小指を差し出し、『約束』とやらをさせられる。
「嘘ついたら、絳攸からキスしてもらうから」
「は?何だそれは?!それに私は嘘なんてつかない!」ムキになって言い返す絳攸がこれでは楸瑛の思うツボだと次の瞬間気が付くが、前言撤回するのも潔くない気がし、悔しそうに唇を噛む。
「絳攸、そんな顔したら可愛い顔が台無しよ。さ、バスが来たわ急ぎましょう」
ぐいっと引っ張って絳攸を急かす。
絳攸もこんなことでバスに乗り遅れては、たまらないとばかりに走り出す。街頭に照らされた二人の伸びた影を月とマリア様だけがみていた。
コメント
第一部 終了です。『マリア様がみてる』のパロで、彩雲をと妄想を繰り広げた挙句、形にしてしまいました。百合なので、双花の口調も変わっています(笑)果たして、波乱の春休みデートは成功したのでしょうか?!二部ではあの姉妹(笑)が出てきます。双花も二年生に進級ですよ☆