マリア様がみてる〜春〜 10

 





「姉上っ!」

劉輝はロザリオを握り締めると、踵を返そうとする。

だが、その首根っこは劉輝の行動を予想していた楸瑛によって捕まれ、劉輝は駆け出すことが叶わない。

「離して!私は姉上のところに行かなければならないのだ!」

「行って、どうなさるおつもりですか?」

楸瑛は劉輝の首根っこを尚も押さえたまま、問う。

「決まっているではないか。選挙のやり直しをしなければ。本来であれば、姉上が居られる場所だ」

劉輝は楸瑛の手から逃れると、憤然として叫ぶ。

楸瑛と劉輝の睨み合いにも似た緊迫した空気が続く。

「馬鹿ですか、アンタは!」

「こ、絳攸?!」

だが、その沈黙を破ったのは腕を組み仁王立ちをした絳攸から発せられた雷だった。

「わ、私は馬鹿ではないのだっ!」

「うるさい!」

「わー、ごめんさないなのだ」

絳攸の雷には条件反射で謝ってしまう癖がすっかりついてしまった劉輝は先ほどまでの勢いはどこへやら、首を竦めて嵐が過ぎ去るのを待つ。

すっかりいつもの通りに戻った劉輝をみて、楸瑛は場の空気を仕切りなおすように軽く咳払いしてから口を開く。

「いいですか、劉輝様。静蘭はあなたに目を覚まして欲しくて、選挙に立候補したんでしすよ。それなのに、せっかくやる気になった貴女が彼女に譲るなどと言い出したら、間違いなく静蘭は失望します。静蘭だけでなく、私たちや、あなたに期待してくれている生徒達の信頼をも裏切るのですよ」

「裏切る…?」

劉輝は、はっとしたような表情で、呟くと、掌をきつく握り締めた。

「そうだった。私は、自ら望んでこの学園を良くしようと生徒会選挙に立候補したんだった。私は姉上がみつかったことで、我を忘れてしまった。あやうく皆の信頼を裏切るところだったのだ」

劉輝は俯くと、視線を床に落す。

立候補を決めてから、これまで、楸瑛と絳攸には原稿の書き方や、立会演説、様々なことで世話になった。

彼女たちも初めての選挙で、大変だろうに、そんなことはおくびにも出さずに、何も知らない劉輝に根気良くつきあってくれた。

劉輝はもう昔とは違う。

 

 

「おい、楸瑛、おねえさまたちに挨拶に行くのなら、方向が違うんじゃないか?」

楸瑛は群がる生徒達の輪から絳攸を連れ出すと、手を引いて歩き出す。

けれど、楸瑛が向かったのは中庭をつっきて行く、薔薇の館ではなく、ミルクホールと呼ばれる、自動販売機が置いてあるちょっとした休憩室だった。

「おねえさまたちへの報告は後でもできるでしょう」

楸瑛はそう言って、絳攸を椅子に強引に座らせると、小銭を入れて、カップに入ったコーヒーを二つ買う。

「はい。熱いから気をつけてね。ミルクと砂糖は多めに入れておいたから」

楸瑛は一言添えて、持っていたカップの一つを絳攸に渡す。

絳攸は怪訝そうな表情をしながらも手を伸ばして受け取る。

「絳攸、あなたお昼休み、お弁当半分しか食べてなかったから、お腹空いたでしょう」

「知ってたのか?」

絳攸とて、不安がなかったわけでない。

もし、万が一落選したら、どんな顔をして黎深に会えば良いというのだ。

けれど、それを気取られるのは絳攸のプライドが許さなかった。

だから、常と変わらぬ、平静を装った状態で過ごしたはずだった。

それでも気づかれていたとは、不覚だった。

「でも、気づいたのは多分、私だけだと思うから、安心して」

楸瑛はそういって、片目を瞑ってみせる。

それを見て、絳攸はうっすらと頬が紅潮するのがわかった。

どうあっても、この先楸瑛に適うことなんかないのだろうなと思う。

普段は照れや小さなプライドが邪魔して言えないけれど、本当に側に楸瑛が居てくれてよかった。

「おねえさまたちに報告が終わったら、うちで二人で合格祝いをしないか?」

絳攸は、感謝の念込めて、自分から一歩を踏み出してみる。

いつも与えられるばかりだから、たまにはこういうのもいいのかもしれない。

「ええ、是非、お邪魔させてもらうわ」

楸瑛は本当に嬉しそうに花が綻ぶように笑うのだった。

 

 

劉輝は、構内でもあまり訪れる人のいないひっそりと静まり返った、古びた温室前に佇む。

昔、劉輝がまだ幼かった頃、他の姉たちに苛められては一人きりになれるところを探してひっそりと泣いていた。

その度にみつけだしてくれたのは、清苑だった。

ここは、あの頃を彷彿とさせる場所だった。

だから、もしかしたら静蘭もここにいるかもしれない。

劉輝は早鐘のような音を立てる心臓を宥めながら、幾分さび付いた扉を押す。

軋むような音をたてて、開いたそこには劉輝と同じ制服を着た少女の後姿があった。

「あ…姉上」

緊張で、からからと干からびる喉から出たのは、掠れたような声だった。

それでも、先に訪れていた少女には伝わったらしく、ゆっくりと振り返る。

「よく頑張ったわね。劉輝」

「姉上!」

劉輝は嬉しいのに苦しい矛盾する気持ちに胸が一杯になり、静蘭の胸に飛び込む。

「私は、姉上がいなくなったとき、泣きました。泣いて涙で目が蕩けるかと思いました」

静蘭は黙って、劉輝の言葉に耳を傾け、変わらない優しい手つきで髪を撫でてくれる。

「ごめんなさいね、劉輝。あなたを残して去らなければならなかったこと、とても苦しかった。でもあなたと別れてから、一度としてあなたを忘れたことはなかったわ」

そうして静蘭は簡単にではあるが、今の自分があるのは潔ツのお陰だという話をしてくれた。

「潔ツが?」

意外な名前に劉輝は顔をあげる。

「そう。厄介者の私を、家政婦として迎えてくれたの。でも、本当の家族みたいによくしてもらっているわ」

そう微笑む静蘭は今、とても幸せなのだと知って、劉輝はほんの少し安心した。

「姉上、私は今でも姉上が学園長になるのにふさわしいと思っています」

「劉輝。本当にそう思っているの?」

劉輝の真意を探るように静蘭はその瞳を覗き込む。

「はい。ですが、姉上ではなく、私になれと言ってくれた仲間がいます。だから私は迷っています。私はどうしたらいいのでしょう」

「劉輝、なら、答えは出ているでしょう?清苑はもう、ここには居ません。あなたがここの長です」

静蘭にきっぱりと言い切られ、劉輝は改めてその言葉の重みを噛み締める。

「あなたならきっと良い、学園を築いていくことができると信じていますよ。劉輝様」

静蘭はそう言って、劉輝の体をそっと引き離す。

「姉上っ!」

「違います。静蘭ですよ。劉輝様」

優しげに微笑んでいるだけなのに、有無をいわせない迫力に劉輝は頷くほかない。

「貴女は、もう一人ではないでしょう。貴女を支えてくれる仲間がいます。彼女達と共に、

貴女が思う道を行きなさい」

そうすれば、一生徒である静蘭も安心して、この学園に留まることができるでしょう。

と静蘭は締めくくった。

「さあ、そろそろ行かないと。新聞部のインタビューがあるのでしょう。初日から仕事をすっぽかすつもりですか」

静蘭は劉輝の体を反転させ、元来た扉の方へと押しやる。

劉輝は背中に静蘭の手のぬくもりを感じながら、最後にもう一度だけ振り返る。

「ありがとう。静蘭!静蘭が居たから、私は目を覚ますことができた。これからは皆が何の心配もなく通えるような学園作りを目指していこうと思う」

だから、見ていて欲しいと劉輝は向日葵のような笑顔で決意を伝える。

そうして、劉輝は仲間達の待つ場所を目指し、駆けていった。

 

 

劉輝が息を切らせて、当選発表の掲示板へと着くと、楸瑛と絳攸が振り返る。

「遅い!」

「ごめんなさいなのだー」

叱りはしたが、絳攸は、どこに行っていたとは聞かなかった。

恐らく気がついてはいるのだろうけれど、二人ともそれを口は出そうとはしない。

この二人の側がいつに間にか、かけがいのない場所になっている。

劉輝は頼もしい二人の側近の顔を交互に見比べ、前を見すえる。

「写真部ですが、三人で並んだところを一枚いいですか」

端から、楸瑛、劉輝、絳攸と並びカメラを向けられる。

劉輝はシャッターが切られる瞬間、二人に腕を絡ませ、自分の方へと引き寄せた。

 

翌日の校内新聞には、『新たなる顔ぶれ』として写真つきで各々のインタビューが載せられ、

三人揃って写った写真は、満面の笑顔の劉輝と突然のことに驚いたような楸瑛と絳攸の二人が写っていて、今まで雲の上だった、生徒会が身近に感じられたと、生徒達からの評判も上々だった。

 

そうして、春の足音が聞こえる頃、新生徒会は初の大仕事を迎える。

「絳攸!三年生を送る会の草案纏めたのだ!」

劉輝の言葉に書き物をしていた絳攸は顔をあげてそれを読むが、見る見る眉間に皺がよっていく。

「馬鹿ですかアンタ!こんなんじゃ、先生方を納得させられませんよ。やり直し!」

薔薇の館に絳攸の雷が落ちる。

「絳攸のケチー。もう散々直しているのだからいい加減OKをくれてもいいのだー」

「ケチだと?!私のどこがケチだと言うんだ?!」
「まぁまぁ、絳攸。落ち着いて。劉輝様は頑張っておられると思うよ。少し休憩でも入れて、頭を休めよう」

そう言って、楸瑛は良い香りのする紅茶のカップを二人の前に置く。

いまではすっかり日常となったやり取り。

「楸瑛―。ありがとうなのだー」

「はいはい」

「まったく、お前は甘やかしすぎだ」

三者三様の様を見せながら、それぞれ、目の前に置かれた紅茶に口をつける。

静かな薔薇の館には、どこからか音楽部の演奏する音が聞こえる。

「マリア様のこころだ」

誰ともなく呟く。優しい旋律はこの学園にいるものなら、すっかり馴染んだもの。

まったく別の道を歩んできた三人がひょんなことから出会い、こうして顔を突きつけ合わしているというのは、考えてみれば何とも不思議なことだった。

「これも、マリア様のお導きなのだろうか」

ぽつりと呟いた劉輝の言葉に楸瑛と絳攸も同意するように、優しい笑みを口の端に見せるのだった。

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2008.11.30up

end

ようやく終了となりました。百合設定楽しかったです。長々とお付き合いありがとうございました!