静かな夜に

 

楸瑛から、少し待ち合わせの時間に遅れる。との連絡を受けて、さてどうしたものかと考えあぐねていたところ、昔隣に住んでいた珀明と偶然再会し、ちょとした昔話に花を咲かせた。
その後、暫くして迎えにきた楸瑛に連れられ、車に乗り込んだ。
どこへ行くのかと、問いただしても楸瑛はちょっとね。というばかりで応えようとはしない。
最初は、一体どこへ連れていくつもりなのかと、周囲の景色に目を凝らしていたが絳攸だったが、ほとんど自分で車を運転しないせいか、さっぱり見当がつかず、やがて諦めて流れていく景色をただ、ぼんやりと見送るのみとなった。
車内には、音楽が流れるだけで、特に会話を交わすこともない。
けれど、不思議と気詰まりは感じず、いつの頃からか、空気のように楸瑛が居ることが自然となっていた。
見るとはなしに車窓の外を眺めていた絳攸は、珀明が着ていた、かつての母校の制服姿を見たこともあり、ふと自分の高校時代のことを思い出す。
「どうしたんだい、今日は妙に楽しそうじゃないか。何か良いことでもあった?」
てっきり前だけをみていたものと思っていた、ハンドルを握る楸瑛が問いかける。
「いや、懐かしいなと思ってな」
「あの碧珀明くんのことかい?」
「それもあるが…。珀明をみていたらお前と出会った頃のことを思い出してな」
可笑しそうに笑う絳攸に楸瑛は少々困った顔をする。
「それは、高校時代のこと全般という意味なのかな」
「そうだな。特に高三のクリスマス時期のこととかな」
「あのときは必死だったからね。何せ、君は引っ越してしまうのだし、このときを逃したら、君に気持ちを告げる機会がなくなってしまうと思ってね」
楸瑛も懐かしそうに、そのときのことを振り返って言う。
常に余裕の様を見せている楸瑛があのときだけは、余裕の片鱗も感じされられない切羽詰まった様子で、『君が好きだよ』と告げたのだから。
「まったく、君ときたら、何も告げずに去ろうとしていたんだから、クラス替えがあったにも関わらず、三年間ずっと同じクラスになって。その運命の相手に対して随分と、つれないね」
「仕方ないだろう。俺だって、気持ちを隠し通すのに必死で、なのにお前は受験生だというのに、相変わらず、クラスの女共とクリスマスパーティの話などしていたんだからな」
「でも、あれは結局は行かなかったんだよ。それに、君にクリスマスの話を持ちかけたら、用事があるからというから。まさか、引越しの準備だとは夢にも思わなかったけれどね」
軽く笑って、楸瑛はウィンカーの点滅する方向へとハンドルを切る。
どれくらい走ったのだろうか、周囲は都会のイルミネーションからは遠ざかり、中々に立派そうな門構えが立ち並ぶ居住区へと移り変わっている。
「さて、着いたよ」
そう告げて楸瑛は、大きな門構えの邸へと車を進入させる。
「ここはどこなんだ?」
「うちの別宅の一つだよ。昔は祖父が使っていたらしいけれど、今はほとんど誰も利用しないね」
暖房の効いた車内から、冷えた外気へと晒され、絳攸は身を震わす。
「寒い?」
楸瑛は、絳攸の肩を自分の方へと引き寄せ、玄関の呼び鈴を押す。
出迎えてくれたのは、人の良さそうな初老の婦人で、ここの管理を任されているのだという。
「お腹が空いただろう。まずは食事でもして、後のことはそれからだ」
絳攸が口を開くより早く、何か言いたそうな雰囲気を察し、楸瑛はダイニングへと案内するのだった。
 
 
 
食事は、さすが、藍家お抱えのシェフにわざわざ用意させたというだけあって、素晴らしいものだった。薦められるままに口をつけたワインも口当たりがよく、些か飲みすぎてしまったようにも感じる。
「まったくクリスマスを過ごすなら、いつものお前のマンションでも良いだろう」
「まぁ、そうなのだけど。たまには都会の喧騒を離れて郊外へ来るのも良いかなと思ってね」
それに、ここなら例え、急ぎの用事ができても戻ることは難しいだろう。過去に、絳攸が急な仕事ができたとやらで、良い雰囲気のところを、彼の養い親に呼び出されて、帰っていったのは一度や二度ではないのだから。
普段行き来する楸瑛のマンションのすっきりと纏められた都会的なインテリアとはうってかわった、アンティーク調の室内の様子が珍しいのか、興味深そうにピアノの鍵盤などに触れている。
「せっかくの機会だ。何か披露しようか」
「お前、ピアノを弾けるのか」
「簡単な曲くらいならね。もっとも最近は弾いていないから、あまり期待はしないでくれるかい」
そう言って、楸瑛は、調律を確かめるかのように、ポーン、ポーンと指を軽く滑らす。
「まずは一曲」
そう言って、指を躍らせたのはこの時期に相応しく賛美歌だった。
それからも楸瑛のリサイタルは続き、絳攸はその音に聞きほれると共に、白い鍵盤の上を器用に行き交う、長い指に見惚れる。
(本当に何でもできる奴だな)
家柄も良く、頭も良い。仕事に置いてはこの年で、すでにいくつかの事業を任せられるほどの腕だ。おまけに整った顔立ちとあっては女共が放っておかない。
それなのに、よりにもよって何故、自分を選んだのか。
純粋な疑問として未だに首を捻りたくなる。
「では、そろそろラスト一曲を。何かリクエストはあるかい?」
「じゃあ、『戦場のメリークリスマス』を」
「いいね。あの映画は私も好きだ」
あまりに有名な映画にちなんだ、その曲に賛同の意を示す。
楸瑛は絳攸と目を合わせると、一つ頷き、軽やかな手つきで旋律を奏でていく。
ラストの一曲ということもあってか、殊更、素晴らしい演奏だった。
最後の音源が吸い込まれていくのを待って、絳攸は惜しみない拍手を送る。
「拍手、どうもありがとう。久しぶりだったから、やはり思うように指が動かないね」
「いや、そんなことはないぞ。すごく良かった」
事実、楸瑛の演奏は、そこいらの生半可なプロでは裸足の腕前だと思う。
けれども、言葉にすると、月並みな感想しか出てこない自分がいて、どうしてこうなのかと、もどかしい思いをする。
本当にこういったことには才がないなと嘆息し、絳攸はどうにかして、それ以上の言葉を探そうとする。
「その…、俺は、そういったことには素人だから、技巧とかは分からないが、楽しんで弾いているように感じたし。自分が楽しんで弾けば、自ずと相手に伝わるものではないのか?何より、楸瑛が俺の為に弾いてくれたというのが嬉しかった」
最後の一言を照れたように付けたし、拙い言葉で言い募る絳攸の率直な感想は、普段虚飾渦巻く世界に身を置く楸瑛に与えられる、美辞麗句など問題にならないくらいに、身の奥の一番深い場所に染み渡る。
上面だけの言葉ではない、心からの賛辞に楸瑛はふいに泣きたいくらいに目の前の相手が愛しくなり、ピアノに寄りかかっていた絳攸を抱きしめる。
「ありがとう。最高のクリスマスプレゼントだ」
「は?もらったのは俺で、お前は何も俺からもらってないだろうが!」
久しぶりに感じる腕の中の温もりに殺伐としていた心が休まっていく。
「そうだね。では、君は何をくれるんだい?」
耳元で囁くと、じたばたと腕の中で、無駄な抵抗を繰り返していた体がぴたりとその動きを止める。
「それが、何も用意できなかったんだ」
心底すまなさそうに、絳攸は詫びる。
「このところ、店が開いている時間には帰れなくて。休みもあまりとれなくてな。何とか黎深様と百合様へのクリスマスプレゼントだけは決まったんだが。お前に、何を贈ろうかと考えているうちに日がたってしまって…。本当にすまない」
「そう。君が忙しいのは知っているから、仕方ないよ。あの養い親殿は相変わらずのようだしね」
絳攸と家は違えど、この時期忙しいのはどこの会社も一緒であることを分かっている。
ましてや、上に立つものであれば、あるほど、その忙しさは半端でないことを知っている。
彼は、自分の家と同じく世界でも指折りの財閥と知られる、あの紅家当主の補佐役なのだから。
きっと、今日の為に寸分の暇も惜しんで仕事をしてきたのであろうことが、抱きしめたときに幾分痩せたように思える体から伝わってきていた。
「すまない。もっと早く、動いていればよかったんだが」
「いいんだよ。私のことを思ってくれたその時間が何よりのプレゼントだ」
女性であれば、誰でも頬を染めるであろう極上の微笑で持って、絳攸のすべらかな頬のラインに指を滑らせる。
「お前、いつもそんなことを言っているのか」
「心外だね。こんなことを言うのは君だけだよ。妬かないでおくれ」
けれど、返ってきたのは、呆れたような響きを持つ、つれない台詞。
「誰が、妬くか。この常春がっ!」
「妬いてくれないのも寂しいものだねぇ」
こんな他愛もないやりとりを楽しむ、ゆったりと流れていく時間は久しぶりで、いつまでもこうしてじゃれあっていたい気もするが、せっかくの夜にそれだけではもったいない。
もう自分たちは、気持ちを打ち明けただけで満足だった、あの頃の子供ではないのだから。
「絳攸、この一年間頑張ってきたサンタクロースにプレゼントをくれないかな」
殊更、甘い囁きでもって見つめ、腰に回した手でもって体を密着させる。
「サンタにプレゼントをやるなんて話は聞いたことがないな」
「偶には、サンタだってプレゼントを貰ったって良いと思うけどね」
都会の喧騒から離れた、こんな静かな夜は妙に人恋しくなって、屁理屈とも言える楸瑛の言葉もまぁ、そんなものか。と受け入れてしまう。
近づいてくる楸瑛の整った貌に絳攸はゆっくりと瞳を閉じるのだった。


2006.12.24
コメント
クリスマス企画第二段。そつのない楸瑛は、ちゃんと絳攸のプレゼント用意していることでしょう。外商とか利用しているかもしれない(笑)高校時代のお話も書きたかったのですが、タイムアウト…。すいません(涙)



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