ため息ドロップス2

 

「いくら、俺でも使い走りくらいはできます。子供扱いはやめてください」
「おや?子供ではないといいたいのかな?」

絳攸のほうに向き直った楊修は面白そうに片方の眉をあげる。
そうして、何やら考え込む素振りをみせると、眼鏡の奥の瞳に悪戯めいた光を宿す。

「では、大人の扱いをしてあげよう」
「え――ッんっ!?」

瞬間、絳攸は全ての時間が止まった気がした。

楊修は絳攸の頤を上げ、逃げられぬように固定し唇を重ねる。

「んーっ!!」

何が起こったのか、把握できないまま、絳攸は楊修から逃れようともがくが、僅かに開いた唇の隙間から、するりと侵入してきた舌に己の舌を絡められ、脳天が痺れるような感覚にがくりと身体の力が抜ける。
巧みな技に翻弄され、いつしか縋るように、楊修の官服の袖のあたりを握り締め、それがすっかり皺になった頃、楊修は接吻したときと同様の唐突さで唇を離す。

「ごちそうさまでした」

最後にもう一度、チュッと音をたてて楊修の唇が離れていったとき、漸く絳攸に全ての感覚が戻ってきた。
五月蝿く鳴き続ける蝉の声も、噎せ返るような夏の暑さも確かなものとして蘇る。

「よ、楊修さま?何を…」

絳攸は、未だ整わぬ息で、目の前の楊修を驚きの表情でみつめる。
恐らく顔中が火照っている絳攸とは裏腹に楊修は常と変わらぬ涼しげな表情で、何事もなかったかのような様である。

「君が子供扱いは嫌だというから、人生の先輩としてほんの挨拶を教えてあげただけですが――」

やっぱり子供じゃないですか。と続く言葉で言われ、絳攸は理不尽さに血が上る。

「もう、いいです!」
「おや、少し悪戯が過ぎたかな」

すっかりお冠な様子の絳攸をみて、楊修は苦笑を漏らす。

「ああ、そう、そう絳攸。君が先日纏め上げた資料、なかなかのものだと紅侍郎も誉めていましたよ」

必殺技ともいえる楊修の一言で、絳攸の表情が一気に輝く。

「本当ですか?!」

今泣いた烏が何とやら、絳攸は先ほどのことなど忘れたかのように、瞳を瞬かせて、嬉しそうに笑みを浮かべる。

「ええ。だから早くそれも仕上げてしまいなさい」

楊修が指し示した書翰を絳攸は大切そうに抱え、頷く。
絳攸は、自分の机案に戻ると、先ほど指摘を受けた書翰を広げる。

墨を磨りながら、ちらりと斜め前に座る楊修の様子を伺うが、楊修は絳攸のことなど、すっかり念頭にないようで、自分の仕事に取り掛かっている。

(楊修さまにとっては、たいしたことじゃないのか)

絳攸は先ほど、楊修が触れた唇にそっと自分で触れてみるが、あれこれと思い悩んでいるのは絳攸だけで、楊修の方はそうでもないらしい。

なんだか、一人相撲のようで、ほんの少しがっかりした。
絳攸はそんな雑念を頭を振って、無理やり追い出すと、気を取り直すと、腕を威勢良く捲り上げる。

「とにかく、今は黎深さまに見ていただけるものを書かなければ」
「君にとっては、やはり何を置いても紅黎深なんですねぇ」

ぽつりと楊修が思い出したように呟くが、絳攸には言われた意味がよく分からない。

「…妬けますね」
「え?」

上手く聞き取れなくて、もう一度聞き返そうとするが、独り言ですよ。と言われ、それ以上のことは聞けなかった。

掴みどころのない人だな。と絳攸は一つため息をつく。

窓を開け放っていても室内は、やはりうだるように暑くて、窓越しに外に目をやれば、真っ白い雲が流れている。

口に含んだ飴は薄荷特有の甘さと、スウッとした清涼感をもたらす。
それは、夏にはお誂え向きの飴であるのだが、今の絳攸には、その清涼感が心に風穴が開いているようで、切なさをもたらす。

絳攸は口の中で溶けて小さくなった飴を噛み砕くと、再び零れ落ちそうになった、吐息と共に、飲み込むのだった。




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師弟愛万歳!ということで。楊修にとって絳攸は可愛いけれど、まだまだお子ちゃまなので、ちょっとからかってみました〜的なお話です。黎深様が知ったら、さぞかしご立腹でしょう。でも、楊修は『あの子に警戒心というものを教えてあげただけですよ』とかいってしれーっとしてそうです。


2008.7.4 UP