峠の我が家 2
「百合さんは孫の顔を見たいですか?」
「まぁ、そうね。見たくないといったら嘘になるけれど、どちらでも良いわ」百合は、突然の絳攸の質問に少々面食らったような表情をしたものの、おざなりな返事は決してしない。
絳攸は意外な返答に、珍しく意味を図りかねるといった表情で顔をあげる。
「どちらでも良い…とは?」
「だから、そのままの意味よ。別に私は孫の顔を見るのだけを、生きがいにするお婆様にはなりたくないし」百合はそこで一度言葉を区切ると、絳攸の頬を両手で挟み込む。
「私が一番に願っているのは貴方の幸せよ。貴方が結婚したいならすればいいし、そうでなければ、無理にすることはないのよ」
間違いなく黎深もそう言うはずだ。と言われ、絳攸の幾分強張っていた表情が力の抜けたものになる。
「本当にそれでも良いのでしょうか」
「そうよ。私だって、まさか自分が結婚するとは思っていなかったわ」おまけに相手は、あの黎深だなんて。弾みとはいえどう転がるかなんてわかったものではない。と続ける。
「形に捕らわれて、本質を見失わないで。私たちが血が繋がって無くても家族であるのと同じよ」
家族と言われて、絳攸は少々擽ったそうな表情をする。
けれど、その表情には先程までの思いつめたような陰は無く、純粋に嬉しいといったものがみてとれて、百合もほっとしたようだった。
もう大丈夫そうだと踏んだのか、百合はほんの少しだけ茶目っけをだす。
「でも、誰か良い人がいるのだったら、私には教えてね」
「ゆ、百合さんっ!」そんなのはいません。と首を激しく左右に振る絳攸をみて、百合は声を出して笑う。
「何を騒いでいるんだ」
「黎深様!」いつの間に帰ってきたのか、百合の笑い声を聞きつけた黎深が室へとやってきた。
「あら、お帰りなさい」
「百合。お前は、出迎えもしないのか」やや気分を害したような響きを持つ、黎深の言葉を聞き絳攸は慌てて姿勢を正す。
「私が、絳攸と仲良くお茶していたからって、妬かないでちょうだい。貴方と違って、私は偶にしか絳攸と居られないんだから」
「相変わらず、口の減らない。まぁいい、絳攸!」
「は、はい!」突然、自分の方へと矛先が変わったのをみて、絳攸はどんな無理難題を吹っかけられるのかと、身構える。
「お前は、今日街で買い物をしたな」
「はい。しましたが?」それが、どうしたというのだろうか。と首を傾げる絳攸に黎深は黙って、何がしかの包みを渡す。
「開けてみても良いのですか?」
「構わん」絳攸が包みを開けると、絳攸は驚きの声をあげる。
「あっ!」
包みの中身は茶を入れる茶器そのものと、椀がもう一つ包まれていた。
その椀は、白磁に唐草模様と百合が描かれたもので、絳攸が百合に贈った茶碗とまったく同じものだった。
「聞くところによると、お前は飾ってあった、対の器だけを買って帰ったそうだな。私が立ち寄ったときには、椀は三つ。茶器は一つ。それで一揃いということだったぞ」
「すいません…」
面目なさそうに項垂れる絳攸をみて、黎深は面白くもなさそうに鼻を鳴らす。
「お前のことだから、飾ってあったものだけで全てと思い込んだのだろう」
黎深はばさりと扇を広げ、優雅にはためかせ、こういったものは一式揃えねば意味が無いのだと言う。
そんなものだろうか。と絳攸は首を傾げる。
確かに絳攸は店先に飾ってあった、対の椀をみつけ、二つだし丁度良いと思い、買い求めたのだった。
「じゃあ、丁度良いからこちらの茶器でお茶をいただきましょう」
ふふっと笑って、百合は黎深に目配せする。それを受けて黎深はそっぽを向く。
絳攸には何が起こっているのかさっぱり分らなかったが、当の二人には何か通じるものがあるようなので、まぁ良いかと思う。
百合は優美な手つきで、茶葉を入れると、三つの椀に均等に茶を注ぐ。
「さ、これで三人分が揃ったわね。絳攸、これからは三つ揃っているか、ちゃんと確かめてから、買うのよ」
「え…?あの?」
「もう、鈍いわね。このへそ曲りの人が珍しく、分りやすい行動に移しているんだから、察してあげて頂戴」百合は、同意を求めるように黎深の方に向き直る。だが、黎深は余計なことを言うなとばかりに、百合をひと睨みする。
その視線を受けても、百合は臆したふうもなく絳攸の反応を伺っている。
一揃いでなければ意味がないと黎深が言ったのは、価値がないということではなく、自分もこの大切な日の一員だと言われたようで絳攸は、湧き上がる喜びを隠せない。
「はい。今度はきちんと確かめてからにします。黎深様、ありがとうございます」
「ふん。良いから飲みない。冷めるぞ」注がれた、茶は先程と同じ茶であるのに、何故だか、美味しさが増したような気がした。
飲み干した茶はじわりと体の中から温めてくれて、心の中まで暖かくなる。
絳攸はほうっと吐息を一つ漏らす。
再び、絳攸が茶に口をつけようとしたときに、百合がそういえばと口を開く。
「先日、玖琅と会ったのだけれど、絳攸に結婚話を持ちかけて、断られたって苦りきった顔をしていたわ」
「玖琅め。くだらんことをする。私の可愛い秀麗を絳攸の嫁にだと!?紅家の為になどど馬鹿馬鹿しい」黎深は、ここにはいない玖琅に向かって一頻り毒づくと、絳攸に閉じた扇をつきつける。
「いいか、絳攸。そんなものは誰かの為にするものではない。それを良く覚えておきなさい。するもしないも、そんなものはお前の勝手だ!」
「わかっています。今はただ、お二人の側に居られれば私は、それで幸せなんです」この先、自分がどういう道を選ぶのかなど、考えても仕方ない。
血の繋がりはないが、親と呼べる人がいる。
絳攸がどんな道を選ぼうと、帰る家がある。
結婚という形で結ばれることがなくとも、共に歩いて行きたいと思う相手に巡りあえた。
それだけでも十分ではないか。
「何をへらへら笑っているのだ。絳攸」
「いえ、何でもありません」絳攸の答えに黎深は面白くもなさそうに鼻を鳴らす。百合はそんな二人の遣り取りを微笑ましそうに黙ってみている。
いつの間にか、心の中にふいていた寒風はやんでいた。
梅の花が一つ綻ぶたびに、いつの間にか春が近づくように、幸せというものも案外身近にあるものなのだろう。
「今度は桜を皆で愛でられたら良いですね」
「そうね。そのときは絳攸のいい人も一緒だと楽しいわね」絳攸の提案を受けて、百合が名案だとばかりにそれを引き継ぐ。
思わず含んでいた茶を噴出しそうになる絳攸と、ぴくりと片眉をあげた黎深をみて、百合はころころと笑う。
卓の上には三組の揃いの茶碗。
窓の外にふく風はまだ冷たいものの、柔らかな陽光が室内には降り注ぎ、一時の団欒を楽しむ三人の姿を優しく包んでいた。
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2007.11.24 UP
コメント
『隣の百合』を読んで、紅家家族が可愛かったので、つい書いてしまいました。ラブラブ夫婦と可愛い息子編でした。
百合姫は絳攸のお相手を知ったら、どういう反応をするんでしょうね?!(笑)