椿姫 3
「あの、血がつきます」
戸惑うように絳攸が口を開くが、絳攸の手を捉えた黎深は、離そうとせずに不機嫌そうに眉を寄せたままだった。「ぁ…!」
どうしたものかと、呼び掛けた絳攸を無視し、その指を口腔内に含みいれる。
傷口を舌で舐められ、ぴりりとした痛みと、ぞくりとした悪寒にも似た感覚が背筋を這い上ってくる。「れ、黎深さまっ!」
焦ったように身を引こうとする絳攸をそのまま押さえ込み、執務机へと引き倒す。
ともすれば、おかしな声をあげそうになる絳攸はぎゅっと唇を噛みしめる。「錆びた鉄の味がするな」
そう言って、黎深は絳攸の指を解放する。
血は止まっていたが生暖かい口腔内から、外気に触れた指先はひどく敏感で、決して寒くはないはずの室内にもかかわらず、絳攸は身を震わす。「あなたが、舐めたんじゃないですか」
「そうだな」黎深は噛み締めたことによって、紅を刷いたように色づいた絳攸の唇を指の腹でもってなぞる。
絳攸を上から覗き込み、どこか愉快そうに応えるその人の瞳の色は、奥に紅蓮の炎を宿した漆黒。(ああ、あの椿と同じだ)
焦がれてやまない紅――。
無味無感想な白の世界に置いて、たった一つ色彩を放つ、その色。
何もかも覆いつくす白は幼い頃の絳攸にとって恐怖の対象でしかなかった。
飢えと寒さから身を守る為、小さく蹲っていた自分。身を射す寒気よりも、もっと辛かったのは、独りだということだった。このまま、自分がこの世界から消えても誰も気が付かない。存在していたことさえ、知られずに露のように消えてしまうのだろうか。そう思うと酷く悲しかった。
そんな絳攸の永遠に続くかと思われた白い世界に突然現れた、鮮やかな紅。
清潔な衣を与えてくれ、飢えることも凍えることもない生活をくれ、そして、名をくれた。『絳攸』と。紅よりも尚赤いという意味を持つその名でもって、繋がりをくれた。
「黎深さま…」
万感の想いを込めて、名を呼ぶと黎深はその整えられた指先でもって、絳攸の頬から頤へと指を滑らす。
そうして、ついっと頤を上に向かせて、奪うような激しさでもって絳攸に接吻ける。
「んっ…」
軽い酩酊感と天地が覚束無いふわふわした感覚に身を任せる。
何も考えられなくなり、ただ接吻に酔う。「血に酔ったかもしれんな」
ようやく解放されて、あがる息を整えようと薄い胸を大きく上下させる絳攸に黎深は呟く。
「血も紅ですから」
「そうか」
「先程…、庭院にて椿を拾いました」黎深を見上げたまま絳攸はゆっくりと口を開く。黎深は絳攸が何を言い出すのかと、些か興味深そうに、次に紡がれる言葉を待っている。
「一面の雪に覆われたその中で、紅色の椿だけが異彩を放っていました。私はその色にとても魅せられて雪の降る中、庭院へと降りてしまいました」
「この寒い中随分と、酔狂なものだな」
黎深は常の憎まれ口をきくが、口調とは裏腹に口角は笑みの形に刻まれている。
「同じだと思いました。何もない、ただ白いだけの世界で、たった一つの色彩を持っているところが。雪は、椿という紅色を得て幸せですね」
絳攸の告白に黎深は押し黙る。
昔、気まぐれで拾った子供は、いつの間にか日に日に自分の中で存在を増し、何者にも代えがたい存在になっている。
紅い鎖で縛られた、自分こそが、その真っ白な存在を愛していると知ったら、この養い子はどういう顔をするのだろう。
「絳攸、そんなに椿が気に入ったのならば、咲かせてやろう」
「えっ…ちょ、黎深さま?!」言うが早いか、黎深は絳攸が問いただす間も無く、彼の着ている官服の襟元を寛げ、薄い皮膚を吸い上げる。
「雪に咲く、寒椿だな」
白い肌の上に咲いた鮮やかな紅の花に黎深は満足げに呟くのだった。
2006.12.29
コメント
吏部親子で腐。2006年最後の締めくくりは、吏部親子でした。
たまに、吏部で腐を書きたくなります。(笑)親子愛も大好きなんですがね…。
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