チョコレート革命




この日、李絳攸が教室に入った瞬間、目に飛び込んできたのは机の上に山と詰まれた、色取り取りのラッピングだった。
大きなものから、小さなものまで、種類は様々だが、それらの中身は容易く想像がつく。
そして、その小山を前にしても動じることなく、決められた席につき、悠々と包みを検分している男が一人。
「やあ、絳攸、おはよう。遅かったね。確か今朝は私より先に出たと聞いたのだけど、また迷っていたのかな?」
晴れやかな笑みを浮かべて、絳攸の姿を目にした彼は言う。
「それとも、君に愛を打ち明けたいという勇気ある女性に捕まっていたのかな」
面白そうに窓の外を指し、中々のモテぷりだったじゃないか。と絳攸の肩を叩く。
絳攸は、その言葉を聞いた瞬間、自らの理性の糸がはかない音をたてて切れるのを聞いた。
「楸瑛っ!知っていたなら、ぼさっと見てないで、助けに来い――っ!」
高校生活二年目の冬のバレンタインはこうして幕を開けたのだった。
 
 
ここ、私立貴陽学院は、名家の子息が通うので、有名な古くからの名門校であり、加えて、見目にも恵まれた男子が多いとあって、近隣の女子たちの注目を一身に集めている。
その中でも特に熱い視線を集めるのが、この二人、楸瑛と絳攸だった。
 双花菖蒲の君などと噂される二人だが、性格は真反対で、絳攸に言わせれば、『腐れ縁でここまできた』というところだろう。
そうは言うものの、人には言えない絳攸の弱点を入試時に偶々知られてしまった、楸瑛には何かと世話になることが多く、二人セットで周囲も扱うのが日常だった。
 


「そういつまでも怒ってないで、いい加減機嫌を直してくれないかな?」
朝の出来事を詫び、午前中いっぱい、ほとんど無視に近い状態を続けられた楸瑛が、絳攸の機嫌を伺う。
だが、絳攸は先程から、剣呑な目つきを時折、投げかけるだけで、黙々と学食のカレーを口に運んでいく。
「俺が女嫌いなのは知っているだろう。俺は待ち伏せを避ける為に早くに家を出たんだ。それなのに、どうして女って奴は、道々で人を待ち構えているんだっ!」
絳攸は、据わった目つきで、水の入ったコップを力一杯握り締める。
もっとも非力な絳攸がいくら、力を込めたところで、硝子のコップはひび一つ入りそうになかったのだが。
「それは、君、バレンタインだからだよ。一年に一度の一大イベントじゃないか」
「菓子屋の儲け日だろう!」
「君はまったく恋心を分かってないねえ」
楸瑛は相変わらずの絳攸の様子にやれやれとばかりに肩を竦めて見せる。
昼食時の学生でごった返す、食堂には、そんな二人の様子など他の生徒たちは気づいたふうもなく、めいめいお気に入りの場所に座って、腹を満たすことに忙しい。
過去の苦い経験から、徹底した女嫌いになった絳攸に対して、来る物拒まず、去るもの追わずの楸瑛。
今朝、目にした小山はほんの一部で、放課後になれば、門の外に待ち伏せた少女たちに再び、プレゼント責めにされるのだろう。
「いい加減にしないと、いつか逆上した女に指されるぞ」
「そうしたら、君が介抱してくれるかい?」
「貴様なんぞ、チョコレートの角に頭をぶつけて死んでしまえ!」
絳攸は一言一言区切るようにして、言い放つ。
人がせっかく忠告をしているというのに、まったく聞く耳もたず。馬の耳に念仏とはまさにこのことだ。
絳攸がほとほと呆れはてたときだった。
「絳攸先輩!」
弾むような声が頭上から降ってきて、絳攸は顔をあげる。
「珀明?」
顔を上げた先には少し緊張した面持ちで、立っている中等部の制服の少年が居た。
珀明は翡翠の瞳に決意を込めて絳攸に手にしていた紙袋を渡す。
「あの、これ、いつもお世話になっているので、日頃の感謝の気持ちです!」
そういって珀明は勢いよく頭を下げる。
絳攸はその勢いに飲まれたように暫し唖然と蜂蜜色した髪のてっぺんを見つめる。
「ご迷惑だったら、すいません。絳攸先輩が、こういった騒ぎが嫌いなことは知っています。けどっ!」
「いや、日頃の感謝の気持ちだというなら、ありがたく受け取らせてもらう。俺の方こそ、いつも資料作成やら何やら、手伝ってもらって感謝しているぞ」
絳攸は、ぽんっと掌を、珀明の頭にのせる。
「そんな!絳攸先輩は生徒会でお忙しい身なんですから、僕なんかでよければ、いつでもお手伝いさせていただきます」
珀明は顔をあげると頬を紅潮させて、瞳をきらきらさせて、絳攸を見つめる。
校内のオリエンテーリングをきっかけに知り合った、珀明は絳攸の物事を的確に処理していく、その手腕を間近でみて、とても感じ入った珀明は、高等部に入ったら絳攸の居る、生徒会に立候補して、その手伝いをしたいと公言している。
「珀明君とやら、君の熱い気持ちはよくわかったけれど、そろそろ戻ったらどうかな?もうすぐ予鈴が鳴るよ。万が一授業に遅れるようなことがあれば、絳攸も気にするんじゃないかな?」
それまで、すっかり蚊帳の外だった楸瑛が横合いから、口を挟む。
珀明は一瞬ムッとしたような表情をしたが、上下関係の厳しい、この学園において、上級生の言うことは絶対なので、渋々頷く。
「珀明、わざわざ、すまなかったな」
「いえ、良いんです!絳攸先輩が受け取ってくれただけでも嬉しいです」
珀明はもう一度、絳攸に礼をして、少し急ぎ足で、高等部の学食を後にした。

 



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