チョコレート革命 2



「まさか、君が受け取るとは思わなかったよ。あれだけ、ことごとく拒否していたのにねぇ」

学食からの帰り道、廊下を歩きながら、楸瑛は絳攸の受け取った紙袋をちらりと見遣ってそんなことを言う。

「知らない奴から一方的に押し付けられるのは迷惑だが、珀明は別だ」
「随分、あの子のこと気に入ってるようじゃないか」

どこか、含みのある楸瑛の言い方に絳攸は眉をひそめる。

「何が、言いたい?珀明は日頃の感謝の気持ちで、俺にくれたんだろう」
「日頃の感謝の気持ちというなら、私も君からもらう権利はあると思うんだけど?」

突然おかしなことを言い出した楸瑛に絳攸は思わず、足を止める。

「お前、あれだけもらっておきながら、まだ足りないのか?」

今朝みたところ、大きな紙袋に三袋はゆうにあったはずだ。

「違うよ。絳攸、私は君からのものが欲しいんだ」
「馬鹿馬鹿しい、何を言って…」

絳攸は楸瑛のいつもの冗談など真に受けていられないと、一笑に伏そうとした。
けれど、思いがけない強い力で腕をつかまれる。

「冗談なんかじゃないよ。本気で私は君のことが―」

後に続く言葉はなく、そこで楸瑛は口を継ぐんだ。

それは、ほんの短い時間だったはずなのに、やけに長く感じられた。

絳攸は瞬きもしないで、口を半開きのまま、ぽかんと自分より少し高い位置にある、整った顔をみつめる。

「すまなかった。こんなところで、言うべき言葉じゃなかったね」

昼休みの終了を告げるチャイムがなり終わり、周囲は、忙しなく行きかう生徒のざわざわとした喧騒に包まれている。

「今夜、君の家に行っていいかな。話があるんだ」
「あ、ああ…」

絳攸は、良いとも悪いとも言えずにただ、曖昧に頷くことしかできなかった。

楸瑛は絳攸の答えにほっとしたように、掴んでいた腕を放すと、何事もなかったような顔をして、教室へと入っていった。

(一体、楸瑛の奴は何が言いたかったんだ)

絳攸は昼休みの終わりに言われた言葉の続きが気になって、56時間目の授業は集中できたものではなかった。

だが、当の楸瑛はというと、常と変わらぬ、涼しげな顔で、授業を聞いていて、教師に当てられた際も、淀みのない、正解を返答して、教師も満足そうだった。
一方絳攸はといえば、指された後も、質問の意味を取り違えるなど、ありえないミスを連発し熱でもあるのかと教師を心配させていた。

これほど、放課後が待ち通しいと感じたのは初めてのことだった。やっとの思いで、授業から解放され、これで、頭を悩ます問題からおさらばできる。と絳攸は喜んだ。

「楸瑛にさっきの続きを言え!と問い詰めればすむことだ」

絳攸は呟き、妙に緊張した面持ちで楸瑛に言うべく立ち上がる。

けれど、簡単には言葉がでてこない。

何といって、声をかけるべきか、きっかけが掴めずに、立ち尽くしていると、楸瑛の方が絳攸の様子に気づき、側まで寄ってきた。

「絳攸、どうかしたのかい?」
「え、いや、別にどうもしないぞ」
「そう?それなら良いけれど、授業中もおかしかったし、まさか具合でも悪いのかい?」

顔が赤いようだ。そう言って楸瑛は絳攸の前髪をあげると、額を合わせてくる。

「だ、大丈夫っ!だから離れてくれ!」

悲鳴のように叫び、絳攸は思わず、楸瑛を突き飛ばす。

楸瑛は思いがけない、絳攸の行動に少しよろめいたものの、転ぶようなことはない。

クラスメートたちは一瞬何事かと二人をみつめるが、楸瑛が肩を竦めたのをみて、いつもの悪ふざけが過ぎて、絳攸を怒らせたのだろうと結論づける。

大したことではないと踏んだ、彼等は、バレンタインということもあって、どこか浮き足立ったふうに次々に教室を後にしていく。

楸瑛も絳攸の様子に首を傾げながらも、鞄を手に戻ってくる。

「絳攸、今日は私は用事があるから、一緒に帰れないけれど、迷わずに帰るんだよ」
「うるさい!貴様なんぞに頼らんでも家に帰るくらい一人で帰れるわっ!」

がたんと音をたてて、椅子を机に戻すと、鞄を取って踵を返す。

「うん。じゃあ、また後で」

最後の最後に楸瑛は絳攸に言い置くと、声をかけてきた同じ部活のクラスメートに捕まり、何事かを話し始めたので、結局絳攸は楸瑛に問いただせず仕舞いとなる。

正門には大勢の女子の姿が見えたので、絳攸は普段あまり使われることのない、裏門からこっそりと、帰路についた。

 

 

絳攸は、シャーペンの芯が切れていることを駅近くまできて思い出して、コンビニに足を向ける。
店内をぐるりと見渡しながら、目的の品を探す。
そうしておきながら、頭の中ではまったく別のことを考えていた。

「そもそも、きっかけは何だったんだ」

呟いて、絳攸なりに楸瑛が言おうとしていたことを推測すべく、今日の会話を思い出す。
特に変わったことはなかったはずだった。

変わったことといえば、バレンタインの話をしていて、そこに珀明がやってきて、絳攸に何がしかのお菓子であろう箱が入った、紙袋を渡していった。

(確か、それで楸瑛は自分も、もらう権利があるとかおかしなことを言い出したんだったな)

もらうも何も、珀明からは一方的にもらっただけだし、絳攸が誰かにあげたわけではないのだ。

誰からももらえそうもない。というのなら、欲しがる道理は分からないでもないが、楸瑛は山のようにもらっている。

「甘いもの嫌いな癖に、何が『君からのが欲しい』だ」

そのときの思いがけない、真剣な表情を思い出して、絳攸は一人赤面する。

「まあ、奴には色々と世話になっているから、感謝の気持ちくらいあげても撥はあたらないだろう」

絳攸はふと菓子の陳列棚をみて、包装も何もされていない、普通の板チョコを手に取る。
だが、板チョコといっても種類は色々あるわけで、頭を悩ます。

いつも適当に買っているものが、いざ、人にあげるとなるとこうまで、難しいものになるのかと、絳攸は嘆息する。

結局、悩んだ挙句、絳攸はあまり甘くなさそうな、洋酒入りのチョコを選ぶ。

シャーペンの芯と一緒に袋に入れてもらい、コンビニの入り口を出たところで、絳攸は見知った姿を向かい側の歩道にみつけ、その場に立ち尽くす。

向かい側の歩道には、楸瑛が、髪の長い少女と親しげに腕を組んで歩いている姿があった。

少女が何事かを楸瑛の耳に囁くと、楸瑛は少し困った表情をしながらも笑う。
甘えるように、少女が腕を更に絡めても楸瑛は嫌がる素振りもみせない。

反対側の歩道に立つ絳攸のことなど、気がついたふうもなく、楽しげに笑い声を立てながら、最近できたばかりの、洒落た雰囲気の店へと消えていくのを絳攸は黙ってみていた。

「用事ってこれのことか…」

先程までの、どこかふわふわとした気分は消え失せ、絳攸は急に吹き抜ける風が冷たくなったように感じる。

思わせぶりなことを言って、混乱させて置きながら、自分はデートとは、あれこれと頭を悩ませた絳攸は馬鹿みたいではないか。

「いや、別に楸瑛は悪くないのか。勝手に俺が誤解しただけか」

そう、冷静に考えれば、男が男に告白など、笑い話にしかならない。ましてや、楸瑛ならば、どんな女性でも選り取りみどりだ。

あえて、自分などを選ぶわけがない。

「元々、単なる腐れ縁だ」

それなのに、何故、こんなに胸の奥が痛いのだろう。
絳攸は拳をきつく握り締めると、すぐ目の前にみえている駅に向かって走り出したのだった。

 


 



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