花鳥風月
〜花の章〜
お湯の温度良し、茶葉は最高級の茉莉花。濃さも問題なし。
碧珀明は、手にした盆に乗せた茶を最終確認すると、目の前にある部屋の主に向かって声をかけた。
「絳攸様、珀明です。お茶をお持ちしました」
珀明は、侍朗室の扉の前で弾んだ声をあげる。
官吏になり、憧れの絳攸の元で運良く働くことができるようになった。
珀明にとって、毎日が薔薇色の日々だった。
「ああ、すまないな」
「失礼します」
いそいそと、扉を開けると、そこには先客がいた。
「おや、丁度お茶の時間だったとは。お邪魔してしまったかな」
準禁色藍色の長衣を優雅に纏った人物は、片眉をあげて、ちっともすまなさそうに、見えない表情で珀明と絳攸を交互にみた。
「そう思うんだったら出て行け。いつまで油を売っているつもりだ」
「親友である私に対してひどい言い草だね。そう思わないかい?珀明くん?」
藍楸瑛。右林軍将軍であると同時に、王から信頼の証である花を下賜された双花菖蒲の片割れ。
別段、彼がここにいても特におかしいことはない。
何故なら、珀明の敬愛する絳攸と同期であり、共に主上付きの身分なのだから。色々と話すこともあるのだろう。
そう、ほんの少し面白くないという珀明の気持ちをのぞけば。
「いえ、僕…私はなんとも…」
困ったような曖昧な表情を珀明は浮かべる。
「珀明、相手にすることはないぞ。馬鹿が移る」
「怖い顔だね。では私は君の上司殿に睨まれない内に失礼するよ」
珀明は、去っていく楸瑛に礼をとって見送った。
「藍将軍とのお話は済んだのですか」
「ああ、別に何ということもない、話だったからな」
さり気無く、絳攸に伺ってみるが、かわされてしまった。
たいしたことのない話であるなら、わざわざこなければ良いのにと。ちらっと思ってしまう。
ふと、茶を置いた机を見遣って、珀明は置かれた器に気がついた。
「杏の酒づけですか?」
「ああ、あいつが置いていった」
とろりと煮てあるそれは、プンとした酒の匂いと、甘い蜂蜜の香りがした。
「絳攸様、どこかお加減でも悪いのですか?」
それは、珀明も子供の頃、風邪をひいて食が進まないときによく出されたものだった。
「いや、たいしたことはないんだが、あいつがお節介に持ってきただけだ」
そう言う、絳攸の声は常よりも掠れているような気がする。
すぐに気がつかなかった自分はまだまだ、観察眼が足りないと思った。
「絳攸さまは、この朝廷において、かけがえのない大切なお体です!くれぐれもご無理はなさらないで下さい!」
勢い込んで言う、珀明に絳攸は驚いたようだったが、微笑んでくれたということは、わかっていただけたと思って良いだろう。