花鳥風月

〜鳥の章〜

「僕だって、もっと絳攸様とお話できる時間があれば、絶対気がついていた!」
先刻のことを思い出し珀明は、回廊を様々な書を抱え歩きながら、ぶつぶつと独り呟く。

楸瑛のことを嫌いなわけではない。尊敬する絳攸と並び立つくらいだから、とても優秀な人物なのだろう。そうは思うものの、彼と絳攸の間に流れる、何となく他者が入り込めない、あの空気が嫌なのだ。

(でも、僕は同じ吏部官吏なんだし、もっとお近づきになれる可能性はあるはずだ)

「負けないからな!」
決意を新たに叫ぶが、拳を握り締めたせいで、書物の山が崩れ落ちそうになる。

「わ、わ…」
「危ないよ」

崩れることを予期して、思わず目を閉じた珀明だったが、予想に反してそれはいつまでったっても訪れず、瞳を開けると、涼やかな微笑を浮かべる人物が書物を受けとめてくれていた。

「余所見をしていると転ぶよ」
楸瑛は、崩れそうになっていた書物を何冊か珀明から受け取ると、そのまま歩き出す。

「こっちで良いのかな?」
「あ、ありがとうございます。ですが、これは自分の役目ですので、お気遣いは無用です」
助けていただき、申し訳ございません。と頭を下げ、楸瑛から書物を受け取ろうとする。

「吏部へ戻るなら、途中まで私も一緒に行こう。丁度、近くまで用があるからね」
そう言って、彼は並んで歩き出した。


楸瑛は、黙ってついてくる自分より頭半分ほど低い位置にある、少年をチラッと見遣る。
『絳攸様に憧れて官吏になりました』と公言している少年は、望み通り絳攸の下で働けることになって、とても嬉しそうだ。

絳攸自身も、なかなか見所があると言って、珍しく気に入っているようだった。
そして、そんな珀明のことを話すとき、愛しい恋人は口元に笑みを浮かべていることが多いのだった。

(私にも、あの何分の一かの微笑でも返してほしいものだね)

色々と邪魔が入ることの多い多難な恋路を想って楸瑛は人知れず溜息をつく。と、同時に珀明も溜息を漏らした。
思わず、互いの顔を見遣る。

「どうしたんだい、珀明くん、溜息なんかついて」
「藍将軍こそ、どうなさったんですか?!」
よほど、楸瑛の溜息というのが意外だったのだろう、珀明はただでさえ大きな瞳を、更に大きく見開いている。

「私は、ちょっと羽軍の方で色々とあってね。君は?」
楸瑛は自分のことを聞かれないように、適当な応えを言ってさりげなく珀明を促す。

「僕はその…」
珀明は言うか言うまいか躊躇しているように、目を泳がせる。

「絳攸と何かあったのかな?」

冗談めかして、言ってみたものの、冗談とはいえそんな台詞がでてくることが、我ながら末期だと楸瑛は思った。

「いえ、絳攸さまはいつもと変わらずお優しいです!叱られたことなど一度もありませんし…」
どうやら、自分の邪推は目の前の真っ直ぐすぎる少年には伝わらなかったようで、楸瑛は安心した。だが、珀明が悩んでいるのは絳攸絡みのことではあるらしい。

「私でよかったら、相談に乗るよ」
そう言って、口を割らせようとするが、珀明はじっと恨めし気な瞳でこちらを見てくる。

「藍将軍はずるいです」
「は?」

珀明の口から漏れた思いがけない名前に楸瑛は面食らう。聞き間違いでなければ、絳攸の名ではなく、自分の名を口にしたのだから。

「そりゃ、僕より絳攸さまと付き合いが長いのは知っています。でもだからと言って、なんでそんなに何もかも分かるんですか!」
「何もかも…か」

そう他人には見えているのだろうか。ならば、少しは絳攸を狙う輩への牽制になっているのか。そう思われていることは悪い気はしない。少しの優越感に束の間浸る。

「口が過ぎました」
珀明は高位の武官である楸瑛に対して、詫びる。

だが、それは形だけのものであって、心底納得したわけではないことが、むくれたような表情から見てとれた。
恐らく、彼は純粋な気持ちで絳攸のことを好きなのだろう。

(こんないい子にまで、妬心を煽られるなんてね)

常に余裕の様を崩さないでいるのが自分の信条だが、こと絳攸のことに関すると、余裕も自信も崩れ去ってしまう。
楸瑛は暫し考え込んだ後、口を開く。

「珀明くん、絳攸の好きな銘柄のお茶を知っているかい?」
「いえ。絳攸様はどれでもおいしいといってくれていますし」

そうだろうと予測はつく。彼は自分の為に入れてくれたお茶にけちをつけるなどということは、どこかの鬼畜尚書と違って決してしないだろう。

「絳攸は、好き嫌いはないからね。では、珍しい茶菓子はどうだろう」
暗に教えてあげるよ。と餌をちらつかせれば、珀明は聞くべきか、自分で探しあてるべきかの葛藤に揺れているようだった。

「市に西域からの商人がきて店を開いていると聞いたのだけど、きっと珍しいものもたくさんあるのだろうね」
珀明はもう一押しで、落ちそうだった。

「きっと絳攸も喜んでくれるものがみつかると思うけどね。よければ、私につきあってくれないかい?」
「はい!」
絳攸が喜ぶの一言で、珀明は瞳を輝かせて頷いたのだった。

(下手に争うのも大人気ないしね)

ここで、珀明と協定を結んでおけば吏部にも顔を出しやすくなるだろう。
珀明の素直さに楸瑛はこっそりと笑みを浮かべるのだった。



 
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