溺れる魚 3

 

「楸兄上の親しき友と、遣り合うつもりは毛頭ない」

龍蓮は、そう言って、笛を支えていた手を離す。すると、絳攸は加わっていた、片方の力が急になくなったことによって、今まで保っていた均等が崩れ、たたらを踏む。

「何を遊んでいるのだ?貴陽ではそのような遊びが流行っているとは、これまた不可思議」

龍蓮は心底不思議そうに問い返してくる。

その様に、絳攸の長くはない堪忍袋の緒が、音をたてて切れそうになるが、かろうじて理性を総動員して抑える。

「とにかく、この界隈でそれを吹くのはやめてもらおう」
「ふむ。まあ良いだろう。どうやら、この笛も別の月を眺め、音色を奏でるのも悪くないと思っているようだ」

絳攸は意味を理解しかね、眉をひそめるが、龍蓮は一人納得したように頷く。

「外に居るのもなんだろう、茶くらいは入れてやる」

そう言って、踵を返した絳攸の後を龍蓮も大人しくついていく。背を向けた絳攸の肩のあたりには、普段は頭の高い位置で括られている、銀の髪が今は下ろされていて夜風に吹かれ、時折そよぐ。

それは、降り注ぐ月明かりを結集したかのようで、さながら地上の月を思わせた。
その様を龍蓮は猫のように目を細め見つめるのだった。

 

庭院を抜けて、どうにか迷わずに自室まで、絳攸は辿り着く。
さすがに、自分の暮らす邸くらいは、把握していると思いたい。

「今、茶を用意させている。座ったらどうだ」

不気味なほど、大人しくついてきた龍蓮は、絳攸の部屋を興味深そうにうろうろと歩いて回っている。
あまり、物を置かない主の趣味を表して、調度品は少ない。
その中で一際目を引くのは棚に並べられた大小様々の書物だった。

龍蓮は、読むというよりは眺めるといった様で、時折無造作に抜き取っては、また元に戻すといった意味不明な行動をとっていた。

「愚兄其の四の親しき友よ」
「な、なんだ」

龍蓮は、何の前触れもなく、首だけを後ろにくるりと回すと絳攸をじっと見つめる。
思わず絳攸が身構えるが、次に発せられた言葉は、絳攸の気を抜くのに十分な言葉だった。

「小腹が減ったゆえ、菓子を所望する」
「…分かった」

初めて、訪れた家でここまで、堂々と図々しい要求がだせることに、呆れるよりも脱力してしまう。
楸瑛が、自分の範疇外だと言っていたわけが、漸く分かった。確かに、この調子で、全ての物事を進められては、振り回されるばかりだろう。

(早く来い!常春。そして貴様の愚弟を引き取っていけ)

絳攸は奥歯をぎりと噛み締めると、心の中で楸瑛を呪った。




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