溺れる魚 4
家人に用意させた、茶と菓子を美味そうに平らげる様だけをみていると、年相応の少年に見えなくもない。
絳攸は、茶を飲みながら、龍蓮の様子を伺うと、そんなことを思う。「この、柘榴の甘露煮を包んだ薄皮饅頭はまことに美味い。それに、この邸も適度に狭々しいところが風情があってよい」
「狭くて悪かったな。貴様のとこの別邸と比べたら、だいたいどこだって狭いだろう」頬杖をつきながら、絳攸は適当に相槌を打つ。
「ふむ。あの邸は無駄に広々しく、煌びやかでおよそ、情緒というものに欠ける。無駄無駄しいことこの上ない」
やはり、こいつの言うことは理解できない。凡そ、通常の人々の感覚とは異なる。
あの、整然と整えられた美しい邸を情緒がないと言い切る、目の前の人物の頭の構造はやはり特殊なものらしい。
それにしても、と絳攸は思う。
何故、自分は、こんなところで呑気に茶を啜っているのだろうかと。
あの紅い耳飾について悩んでいたというのに、そんなことに構っていられないほどの厄介ごとが飛び込んできた。
突如として湧いた竜巻を、どうにかこうにか隔離することに精一杯で、今の今まで忘れていた。龍蓮を招きいれたときに、咄嗟に部屋の隅に置いた小箱は、絳攸が向けた視線の先にしっかりと存在を主張している。それを視界に納めるとどうしたものかと絳攸は嘆息する。
(考えても答えがでないとはな)
絳攸は茶器の縁を指でなぞり、視線をぼんやりと淡い色をした茶に落とす。
「おたまじゃくしでも蛙でも元を正せば同じこと」
ふいに、食べることに専念していたと思った龍蓮が口を開く。「卵が先か、鶏が先かなどと論じることはまったくもって愚かしい」
「何を―…」さっぱり要領を得ないと、絳攸は口を開きかけるが、龍蓮は闇夜よりももっと濃い深淵をのぞかせる瞳でじっとみつめてくる。
その視線に絳攸は思わず息をつめる。その視線に耐えられなくなり、絳攸が瞳を反らしかけたときだった。扉の外から、遠慮がちに自分を呼ぶ家人の声が聞こえる。
それによって絳攸は我にかえり、呪縛から解き放たれた気がした。「かまわない、通してくれ」
用向きは分かっていたので、絳攸は椅子から立ち上がると、安堵の息を吐く。
(これで、ようやく解放される)楸瑛が間もなく、この部屋にやってくるだろう。それで、この傍迷惑な奇天烈笛吹きを連行していけば、すべて終わる。
だが、安堵するにはまだ早かったことをもって身を持って知ることとなる。
「憂いの元は断ち切るのが良い」
その声が至近距離で聞こえ、驚き、振り向いた絳攸は龍蓮に足払いをかけられる。途端、視界が反転し、床にしこたま頭をぶつけることとなった。「何をするっ!」
今度こそ、理性の糸の切れる音を絳攸は聞いた気がした。理不尽な行動をとった、龍蓮を怒鳴りつけようと、息を吸い込むが、それは実際にはおかしな声となって、絳攸から漏れ出ることとなった。