溺れる魚 5

 

「ひゃ…痛っ」
突然、耳を噛まれた絳攸は龍蓮の取った突飛な行動に目を白黒させる。
龍蓮はばたつく手足を事も無げに抑え込み、満足そうに顔をあげた。

そして、その歯に挟まれていたものを見たとき絳攸は声を失った。

「ふむ。良き翠色をしている」
絳攸の耳に飾られていた、翡翠は龍蓮によってもぎ取られていた。

唇から、それを落とし、指でつまみあげた龍蓮は、よほどその石が気に入ったのか、しげしげと飽きることなく見続けている。

「それは…、大事なものだ」
常であれば、このような行動をされて、大人しく黙っているような絳攸ではないのだが、
何故だか、それが取れてほっとしている自分がいるのも事実で、語気は弱いものとなっていた。

「これをつけ続けることは、新たな一歩を踏み出せずにいること」
龍蓮は深い闇の色にも似た瞳で、絳攸を見下ろす。

「…っ!」
自分の迷いを見透かされ、絳攸は言葉に詰まる。
黎深の気まぐれによって、彼自らによりつけられた翡翠の耳飾。

はずすことも躊躇われ、ずっと絳攸は耳に飾り続けていた。何故、翠なのだろうかと疑問をいだきながらも、それでもつけていることによって、黎深と繋がっていられる気がした。

だが、今絳攸の手元にあるのは紅い宝石。

「捉え方は人それぞれ異なる。人との繋がりなどそのようなもの」

龍蓮が言わんとしていることをおぼろげながら、絳攸は理解しはじめる。
それが本当ならば、紅い石の意味は    

絳攸が何か言おうと唇を開きかけたときだった。

「絳攸!」

扉の方でかたんと微かな物音がして、そこには待ち人の姿があった。
楸瑛は、一瞬目の前の光景に唖然としたようだったが、すぐに気を取り直し、刀の柄に手をかける。

「龍蓮、絳攸からどくんだ」
室内に満ちるまぎれもない張り詰めた空気に絳攸は慌てて我にかえる。

「待て楸瑛、誤解だ!」
「誤解?」

傍からみたら、どう見ても逢引の現場に踏み込んでしまったように見える。さながら、夫の留守を良いことに若い男を引き入れた妻と間男といったところか。
そんな考えが過ぎること自体、絳攸も相当混乱しているらしい。

ともかく、こんなところで刀を振り回されては堪らないと、楸瑛の行動を止める。
絳攸の言葉に、楸瑛は構えは一応解いたものの、今だ柄に手は置いたままだった。

「相変わらず愚かだな。愚兄その四」
龍蓮は、目の前の一触即発の空気などものともせず、変わらない調子で楸瑛に向かい合う。

「龍蓮、こんなところで、君は何をしているんだい」
「知れたこと。迷える愚兄その四の親しき友殿の悩みに相談にのっていた」

そんなことも分からないのかと言いたげな調子で龍蓮は告げる。

「藍龍蓮!!どうでもいいが、俺の上からどけ!楸瑛はぼさっとしていないで助けろ!」

しばし、二人の間で竜虎の睨み合いにも似た沈黙が落ちるが、それを破ったのは絳攸の怒り心頭の声だった。




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