空蝉 十 |
「絳攸、顔色が優れないようだが、どうかしたのかね」
至近距離で覗き込むような態勢で問われ、絳攸は先ほどまでの失態を知られてしまったのだろうかと背中を冷たい汗が流れる。どう言い訳をしようかと考えるが黎深の前では、どんな言葉を言い繕っても途端に見破られてしまうだろう。
「あ、あの…」
「近頃のお前はどうも意識が散漫だ。その調子で仕事をされても、私も困るのでな。しばらく、本邸に帰ってきなさい」
頭を冷やせと言葉の端に含まれ、その言葉は氷の刃となって、突き刺さる。
「はい…申し訳ありません」
絳攸は俯き、生気をなくした表情で黎深の言葉に従う。
「絳攸、それをさっさと返して、私と一緒に来なさい。少し話がある」
黎深は絳攸の手にした藍色の衣を凍るような視線で一瞥し、それだけ言うと、さっと踵を返して楸瑛とは反対の方向に去っていく。
「絳攸…」
楸瑛が何か言いたげに絳攸の名を呼ぶが、絳攸は楸瑛と視線を合わせることはしないまま、のろのろと衣を差し出す。
「叩いて、すまなかった」
押し付けるようにして、楸瑛に衣を渡すと、絳攸は黎深の後を追うべく踵を返す。
「絳攸!」
今、絳攸をこのまま帰してしまったら、自分たちは大きな淵が横たわったまま、埋められない。そんな気がして、楸瑛は去っていく背中を慌てて呼び止める。
一瞬、絳攸の歩みが止まり、肩がびくっと震えるが、楸瑛の願いとは裏腹にその背中は振り返ることなく、黎深の後をついていった。
一人、残される形となった楸瑛は、絳攸に返された衣を見つめる。