空蝉 参 |
夜半、楸瑛は宮中の見回りの仕事を終え、異常がないことを報告すると、昼間の約束の通り絳攸を迎えに、吏部へと赴く。
思った通り、侍郎室からは明かりが漏れており、まだ仕事が終わっていないことを扉を開けずとも、如実に物語っていた。
「絳攸?まだ残っているのかい?」
吏部には、他の官吏たちの姿はなく、侍郎である絳攸だけが残っているようだった。
「やれやれ、紅尚書は、やはりまたいないのか」
いつものこととはいえ、これでは吏部の官吏も絳攸も可哀想になってくる。氷の長官などと、恐れられる黎深が、その気になれば、数刻とかからず片付くであろう仕事も、長官不在とあっては、補佐官である絳攸にその責務は全てかかってくる。絳攸が常に忙しいのはそのせいであろう。
「絳攸?」
侍郎室の扉を開け、楸瑛は仕事の進み具合はどんなものであろうかと、様子を聞こうとして、声をかける。
すると返事はなく連日の疲れが溜まっているのか、卓子にうつ伏せになって、寝ている姿があった。
燭台の明かりがゆらめく中、規則正しい寝息をたて、薄い胸が上下する。
「絳攸、風邪をひくよ」
そっと、肩に手をかけ、声をかけるが、よく眠っているのだろう、その瞼が開くことはない。
「絳攸」
楸瑛は、もう一度呼びかけるが、やはり目を覚ます様子はなかった。
(寝顔は存外幼いものだな)
いつも、楸瑛に向けるときには剣を含んでいる眼差しも閉ざされ、薄く開いた口元からは、健やかな呼吸が漏れている。
楸瑛は、絳攸の唇に誘われるように自らの唇を合わせようとするが、思いとどまり、長い睫が影を落とすその頬にそっと唇を落とす。
「寝込みを襲うような無粋な真似はしないよ。だがこれくらいは良いだろう」
誰にともなく呟くと、楸瑛は自分の着ている着物を一枚脱ぎ、絳攸にかけてやる。
「起こすのは忍びないけれど、このままにしておくわけにもいかないしね。さて、どうしたものか」
僅かに困ったように楸瑛は呟くと、立ち上がる。
「もう暫くしたら、迎えにくるよ」
楸瑛は、絳攸の寝顔をもう一度、名残惜しそうに見つめると、吏部をそっと後にした。
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