空蝉 四



カタンという微かな物音を聞いて絳攸はふと、眠りの淵から呼び覚まされた。どうやら、転寝をしていたらしい。まだ完全に目覚めきらない頭を手で押さえながら起き上がる。

すると、起き上がった拍子に肩からするりと滑り落ちたものがあった。

(衣?)

上等な手触りと、その藍に染め抜いた色から、この着物をかけてくれた人物が示すのは一人だった。

「楸瑛…」

衣から微かに香る、焚き染めた香も上流貴族の風流人らしく、とても洗練されたものだった。
昼間の約束通り、迎えにきたというのか。絳攸は慌てて、散らばっていた書翰を適当に一纏めにし、蜀台の火を消すと楸瑛のかけてくれた衣を掴み吏部を飛び出した。

―まだ、待っているのだろうか?

絳攸は、焦り気味に回廊を駆け抜ける。普段であれば、口さがない宮中雀の注目の的になるような、はしたないと言われる振る舞いは決してしないが、この時間であれば誰と会うこともないだろう。

何故、こんなにも必死になっているのか。
絳攸は、自分でもよく分からないまま自問する。

そもそも、約束したわけではない。時間が作れたらという曖昧な回答。それでも、楸瑛は『待っている』と言っていた

もしかしたら、酒にかこつけて誘ったのは建前で何か、大事な話でもあるのかもしれない。

だから、自分は躍起になって、仕事を片付けたのだ。
そう、『腐れ縁だ』なんだと言っても、いつも世話になっていることは確かなのだから。

何か楸瑛の力になれることがあれば、自分で良ければ相談でも何でものってやろうと。

そう思っただけで、それ以上の他意はない。

ただ、自分が楸瑛に会いたいだけなのではという、心のどこかで囁きかける声に絳攸は否定し続ける。

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