今、愛に生きます 3
「楊修…」
絳攸は、僅かに頬を赤らめて、目の前の男の名を口にする。
楸瑛の記憶の中でようやく男の名と顔が一致する。
吏部官であり、絳攸の官吏としての育ての親と言っても過言ではない男。
そして絳攸がかなりの確率で心酔していた人物であった。
「よくできました」
そういって、楊修と呼ばれた男は絳攸の額に軽く接吻をする。
絳攸は、ぎゅっと目を瞑って、恥ずかしそうにそれをやり過ごす。
楸瑛は叫びたい衝動を必死に堪え、この状況を理解しようと、二人を伺う。
「まったく、結婚して一年も経つのですから、夫の呼び方くらい、いい加減慣れなさい」
「すいません」
ちょっとこれは楸瑛の理解の範疇を超える。
いつから彩雲国は同性間の婚姻が認められるようになったというのだ。
もしや、自分の知らぬ間に絳攸が、楊修と結婚したいが為に劉輝に案件を承諾させてしまったというのだろうか。
(絳攸、これは一体どういうことなんだい?!)
楸瑛はそれこそ泣きたい気持ちで一杯で、絳攸のえぷろんをくいくいっと引っ張る。
「ああ、楸瑛どうしたんだ?抱っこか?仕方ないな」
そういって、絳攸は楸瑛を再び抱き上げる。
あやすようにぽんぽんと背中を軽く叩かれ、こういうのも良いかも。などとまたもや、本来の目的を忘れうっとりとして瞳を閉じかける。
「絳攸、あまり抱っこばかりしていると、抱き癖がつきますよ」
楊修は冷たさを滲ませた声で、言い放つ。
「え、でも、楸瑛はまだ幼いですし…」
絳攸の視線はどうしたものかと戸惑い、楊修と楸瑛の間を行ったり来たりしている。
そんな絳攸に抱かれながら、悔しいなら、自分もやってみれば良い。と楸瑛は勝ち誇ったような笑みを楊修に向け、楸瑛はこれみよがしに、絳攸の懐に顔を埋めてみせる。当然ながら、そこに柔らかな膨らみはなく、それが少々残念ではあるが、楸瑛の髪を梳く絳攸の手が殊のほか優しいので、満足する。
こればかりは子供の特権であるから、楊修は真似できないはずである。
ところが、楸瑛の勝ち誇ったような表情は次の瞬間、嫌な予感と共に固まる。
楊修がうっすらと笑みを楸瑛に向けてくるが、その眼鏡の奥の瞳はまったく笑っていなくて、玻璃越しにあやしい光を放っている。
(ひぃっ!)
楊修の笑みをみた瞬間咄嗟に思った。
その表情は、あまり悪戯がすぎると、子供といえども容赦しないと如実に語っている。
楸瑛は身の危険を感じて、絳攸にますますしがみつく。
意識はどうあれ、今の自分は大人の一捻りでどうとでもなってしまう乳幼児なのだから。
「絳攸、楸瑛の食事はまだなのでしょう?ならば私が食べさせてあげますよ」
「はい、じゃあお願いします。俺はお茶を入れますね」
絳攸は、楊修の提案に素直に従い、楸瑛を降ろし茶を入れようと椅子から立ち上がる。
「だー、うー、うー!!」
『行かないでくれ、絳攸!』という楸瑛の叫びは絳攸に届かず、絳攸はいそいそと茶の準備をしはじめている。
「さて、絳攸の料理は今日もなかなか斬新ですね」
楊修は楽しそうにくすりと笑い、卓子に並んだ、数々の蒸篭から、一つ摘み上げると、楸瑛の口許へと持っていく。
「さ、食べなさい」
悪魔の笑顔で持って楸瑛に差し出したそれは、かの潔ツの父茶と同じくらい怪しげな匂いがした。
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