マリア様がみてる〜春〜


「ごきげんよう」

「ごきげんよう」
さわやかな朝の挨拶が、澄みきった青空にこだまする。
アリア様のお庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。
汚れを知らない心身を包むのは、深い色の制服。
スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻さないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみです。
私立貴陽女学園。ここは乙女の園。
 
 
風に乗って桜の花弁が舞い落ちる。
ひらひらと振る中で、一人の少女がマリア像に手を合わせて祈っていた。
何か、特別な祈願でもしているのか、その祈りは長い。
肩まで伸びた柔らかそうな、乳白色の髪は時折吹く風にゆらゆらと揺れている。
新入生であろうと思われる、真新しい制服とは裏腹にその表情は大人びていて、年齢より上にも見られそうだった。
やがて、何事かを決意したように、彼女は顔をあげる。
そうして、鞄の中から一枚の青いカードを取り出すと、もう一度マリア像をみあげ一言呟く『待っていて』と。
それが誰にあてた言葉かは分からなかったが、とても大切な人物にあてた言葉のようだった。
 
 
「ごきげんよう。紅薔薇の蕾」
「ごきげんよう。絳攸様」
新入生と思しき少女たちが、どこか緊張したようにそれでも、その中に、憧れと敬愛を込めて声をかける。
「ごきげんよう」
僅かに、微笑むだけといった余所行きの笑顔でもって絳攸も応える。
それでも、声を返してもらった少女たちは嬉しいのか後方できゃあといった歓声をあげる。
絳攸はそれにかまうことなく足早に歩いていく。
なにか急ぎの用事でもあるのだろうか、彼女の歩みは止まることがない。
「藍楸瑛!そんなところで何をしている!」
「あら、絳攸こんなところで会うなんて奇遇ねぇ」
呼び掛けられた黒髪の少女はその声に振り返って華やかな微笑を浮かべる。
「何が奇遇だ。まったく呆れるな」
そう言って、絳攸は楸瑛と呼ばれた少女の前に集まっていた真新しい制服の少女たちに視線を送る。
「し、失礼します」
絳攸の視線におののいたのか、先頭にいた少女がセーラー服のタイを押さえると、顔を赤らめ去っていった。
それを機に、他の少女たちも蜘蛛の子を散らすように、方々へ去っていく。
「まったく、軽薄が服を着て歩いているようだな」
「何かいけないことをした?私は、上級生として下級生のタイが乱れているのを注意してあげただけよ」
楸瑛は、悪気など欠片もないような表情で首を傾げる。
「それで、何故、タイを解く必要がある?」
「ああ、だってね、彼女らの一人で積極的な子がいてね。『結んでくださいますか』って言うから、『いいわよ。可愛い天使たち』って応えただけじゃない」
開いた口が塞がらないというのはまさにこのことを言うのだろう。絳攸は散っていった彼女たちの後姿を目で追う。
「もしかして、妬いてくれたの?嬉しいわね。あなたのタイも直してあげましょうか?」
楸瑛はそう言って、絳攸の校内一美しいと謳われているタイの結び目に手をかける。
「結構。お前なんかに直してもらわなくても自分で直せる」
ぴしゃりと跳ね除け、タイにかかった手を叩き落とす。
この程度のことで、一々目くじらを立てていてはこの常春とは付き合えない。気を取り直すように息を一つ吐き、本来の用件を伝える。
「薔薇さまたちがお呼びだ。すぐに薔薇の館に来るようにとのことだ」
「何かあったのかしら」
「私が知るわけないじゃないか。あの方たちはいつだってこちらの都合などお構いなしなのだからな」
絳攸の言葉に楸瑛も否定のしようがない。
貴陽女学園、高等部の総本部ともいうべき、生徒会は山百合会と呼ばれ、薔薇様と呼ばれる生徒会長たちが動かしている。薔薇様と呼ばれる彼女らが居るその建物こそ、薔薇の館と呼ばれるものだった。
楸瑛と絳攸は、その『妹』たち次期の薔薇さま候補として、咲くのを待っているという意味から、『薔薇の蕾』と呼ばれているのだった。
 
 
楸瑛をともなって、絳攸は、ぎしぎしと軋んだ音を立てる、年代ものの木造校舎の階段を上っていく。
ビスケットのような狐色の扉をノックして、部屋へと入る。
「お待たせいたしました―?」
先頭に立って、扉を開けた絳攸は思ってもいなかった、人物をそこにみつけ、思わず立ち止まる。
「どうした、絳攸。いつまでもそんなところで立っているとは、わざわざ、おいでいただいたシスター霄に失礼ではないか」
「ええ、はい。申し訳ありません、黎…、おねえさま」
黎深様と口に出しそうになったのを慌てて訂正し、絳攸は楸瑛共々所定の位置に座る。
何故、学園長代理であるシスター霄がこんなところにいるのだろう。
疑問に思うが、ひとまずは相手の出方を伺うことにした。
「驚かせたようじゃの。実はそなたら二人に折り入って頼みたいことがあって、ここまで足を運んだのじゃ」
「頼みですか?薔薇様ではなく、私たちにですか?」
こんな風に、まるで内密とも言うような訪れまでして自分たちを訪ねてくる見当がまったくつかず、絳攸は思わず確認をしてしまう。
「うむ。何から話せば良いのか分からんが、そなたら今年の一年生に先代の学園長の娘が居ることは知っているかの」
「はい。一応聞き及んでいますが。それが何か」
「頼みとはそのことなんじゃ」
一体、何を言い出すのだろうと絳攸は訝しげな面持ちでシスター霄と絳攸の姉である黎深の顔を見渡すが、既に、紅藍両薔薇さまの間には話が通っているらしく、黎深はただ静かに手にした扇を揺らすだけで、その表情に変わった色はなかった。
「始まりは、先代の学園長がなくなったことから始まるのじゃが―」
そう言って、シスター霄は話始めるのだった。
貴陽学園の成立は、古く、元号が何代も前にも遡った頃が始まるのだった。
そして、今時珍しい世襲制という形でこの学園の学園長は続いてきた。その代々続いてきた伝統が今になって崩れそうになっているということだった。
それというのも、先代の学園長は財閥の長でもあり、事業主としても、学園長としても優秀だったが、後継者を育てるという面では、無責任だったといえよう。
結婚と離婚を繰り返した挙句、母の違う六人の娘がいたが、そのうち五人までもが、幼くしていなくなってしまったのだという。
幼いながらにも格段に優秀だといわれていた二人目の娘も外国にいったまま、母共々音沙汰がなくなっている


 







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