マリア様がみてる〜春〜 3

 

『中庭にある、マリア像の前にて、本日16時にお待ちしています。 青のカードの所有者より』
楸瑛がメモにある指定の場所に行くと、そこには真新しい制服に身を包んだ一人の少女が、佇んでいた。人待ち顔というわけではなく、ただ、何かを決意したような表情がその静かな貌に浮かんでいた。
「あなたが、このメモの呼び出し主かしら?」
楸瑛が声をかけると、ゆっくりと目の前の少女は顔をあげた。
「ええ。わざわざ来てくださって感謝します。藍薔薇の蕾」
彼女は楸瑛の顔を真っ直ぐ見つめると、その瞳を恐れることなく見返す。
「私は、此静蘭と申します」
ざわりと、この季節特有の強い風が吹き、相対する二人の髪をさらう。
「あなたにお願いがあって参りました」
風に煽られた、セーラー服のタイがはためくが、それすらも気にならないように二人の少女は暫し、その場で見合ったままだった。
 
 
「そう。静蘭さんとおっしゃったかしら。お願いって何?そのカードをどうやって手に入れたかはしれないけれど、それを手にしているということは、私とデートしたいとうことかしら」
くすりと楸瑛は笑って問いかける。
「いいえ。このカードは貴方を呼び出す為に利用させていただいたものです。こうでもしないと貴方と二人きりでお話をできそうにありませんでしたから」
目の前の楸瑛の蕩けるような微笑みも意に返したふうもなく、しごく落ち着いた様子で首を振る。
「随分と熱烈な告白ね。二人きりで話したかっただなんて」
「生憎と、貴方の冗談にお付き合いしている時間はないのです」
冷ややかに切り捨てて、静蘭と名乗った少女は、青のカードを楸瑛に付き返す。
「ある噂を聞いたのですが、近く、生徒会選挙が行われるそうですね」
「さぁ、どうかしら?私は姉である薔薇さまたちから何も聞かされていないわ。それに薔薇さま方は三年生になられたとはいえ、まだ4月なのに任期を降りるなんておかしな話じゃないかしら。静蘭さんの聞き違いではなくて?」
楸瑛はいつもの笑みを浮かべたまま応えるが、静蘭もまた、にこりと微笑み返す。
「そうですね。でも、もし行われるとしたら、私も立候補しようかと思っているんです。幸い、前学園長の娘と同級生という幸運に恵まれましたので、彼女に応援演説でもしてもらえれば、私でも受かるのではないかと思いまして」
そこで静蘭は言葉を一度区切ると、何かを考え込むような素振りをみせる。
「でも、そうなると、次期生徒会長の椅子は二つ。もし、紅薔薇の蕾も立候補されるならば、あなたがた二人の内、どちらかが落ちるようなこともありえるのですよね」
紅薔薇の蕾は、ましてや家庭の事情も色々おありですし、と続ける。
「静蘭さん。先程から聞いていると、随分な自信の持ちようね。仮に選挙があるとしても、貴方が落ちる可能性もあるんじゃないかしら?」
「それは、もちろん。でも次期学園長の紫劉輝さんと仲良くなれれば、目立つことは目立ちますよね。話題にはなると思いませんか?」
それは十分に目を引く出来事だろう。マリア様の庭に集う、平凡な毎日を送る少女たちにとって、生徒会は憧れの存在だ。
そこに新入生である、彼女が立候補するなどということになれば、同じ一年生などは親近感を抱くに違いない。
ライバルとなる可能性は十分に有り得るのだ。
「まあ、選挙が行われればの話ではありますけれど。それでは藍薔薇の蕾、お話を聞いてくださってありがとうございました」
静蘭は一方的に話を締めくくると、用事は済んだとばかりに、楸瑛に一礼して背を向けるのだった。
 
 
 
翌日、薔薇の館に集まった一同の前で、薔薇さまたちはとんでもないことを言ってのけた。
「今、何ておっしゃいました?」
「聞こえなかったのか、絳攸。私たちは生徒会を引退すると言ったのだが」
黎深はいつもと変わらず、優雅な仕草で愛用の扇で口許を隠してたまま、しれっと言ってのける。
「悪い冗談はやめて下さい!」
絳攸は思わず、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。
「冗談?至って、本気に決まっているだろう。そもそも姉上のたっての頼みであったから、こやつらと共に、こんな面倒ごとを引き受けてきたが、姉上がご卒業なさった今となっては、引き受ける道理がない」
相変わらずの黎深の無茶苦茶な論理に絳攸は、言葉に詰まる。
こうなっては絳攸が何を言ったところで、黎深は動かないのは長いつきあいの中で、身をもって知らされている。
(この黎深さまを操れるとは、やはり邵可様は偉大な方だった)
絳攸はつくづく思い知らされる。
「ごめんなさいね、絳攸殿。私たちも受験生なものだから」
ちっともすまなさそうに聞こえない声で、藍薔薇の蕾の一人雪那が告げる。
「学内のトップ争い上位者のお姉さま方が言っても説得力ありませんね」
「何か言ったかしら、楸瑛?」
「いえ、何でもありません」
残りの二人の姉共々にっこりと微笑まれて、楸瑛のささやかな抵抗はあっさりとかわされる。
「というわけだから、次期、藍薔薇となるべく頑張って頂戴」
「もう、私たちが引退することは、伝えてきたから」
「広まるのも時間の問題でしょうね」
楸瑛の三つ子の姉たちは、妹の意思などおかまいなしに、口々に好き勝手なことを言っている。どうやら、この一大イベントを高みの見物として楽しむ気満々なようだ。
あのシスター霄が出てきた時点で、こうなることはあのとき決まっていたのだろう。
姉たちも本当に人が悪い。
それなら、そうともっとストレートに言ってくれれば良い物を、何故、こうも曲がりくねったやりかたで、人を試そうとするのか。
思わす、楸瑛は天井を仰ぐ。
隣の絳攸は予想だにしない出来事に、表情を固くしている。
「そんな…黎、…お姉さま」
絳攸が途方にくれたように、黎深を見やるが黎深は知らん顔だ。
「まさか、務まりません。などというつもりではないだろうな?」
「いえ、ですが、あまりにも急すぎて…」
「早かろうが、遅かろうが、いずれ私たちは引退するのだから、変わりはないだろう。にまぁ、気が向いたら、偶には茶を飲みに来てやってもいいが」
面白そうに笑って、絳攸の頤に扇をあて、その顔を覗き込む。
恐らく、黎深は絳攸の困った表情というのが、大好きなのだろう。
楸瑛には決してみせない、その表情に少々面白くないものを覚える。
「わかりました。お姉さま方。私も絳攸も、立派にお姉さま方の後をついで見せますわ。つきましては、今後の選挙についても絳攸と早速話しあいたいと思いますので、失礼させていただきます」
「し、楸瑛?!」
楸瑛はそう言って立ち上がると、黎深の元から、絳攸を奪うような少々乱暴な仕草でその手を取り、半ば引きずるようにして薔薇の館を後にする。
残った、四人の薔薇たちは、蕾の二人が出て行った扉を見つめる。
足音が完全に消えた後で、藍薔薇たちは、耐えられないというように笑い出す。
「あの楸瑛の顔ったら!」
「予想通りね」
「まぁ、何が起ころうとうちの可愛い妹が落選するようなことはないけれど」
楸瑛に陰で鬼畜と呼ばれていることは承知の上で、三人の姉たちは自分たちの思った通りに物事が運んだことに満足そうだった。

 







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