マリア様がみてる〜春〜 4

 

「此静蘭…、どこかで会った気がするのだけど。まぁ何にしても劉輝様とやらが台風の目になりそうね」
絳攸を引っ張ってきた楸瑛は、人目を避けるように閉庫となっている図書準備室に連れ込むと、声を落として、記憶を探るように呟く。
「言うなれば、その馬鹿娘を担いだ方がこの選挙有利になるといったところか」
「そうね。そうして劉輝様を表舞台に引っ張り出すきっかけにするつもりでしょうね。悔しいけれど、シスター霄の思惑に、まんまと嵌ったわね」
腕組をして、どうしたものかと思案する絳攸を見ていた楸瑛だったが、そのとき奥の方から、微かに聞こえた物音に耳をそばだてる。
「楸瑛?」
「しっ!黙って。そこに誰かいるの?」
楸瑛の異変に気付いた絳攸が訝しげな声をかけるが、それを唇に指をあてて制すると、本棚の陰に回りこむ。
「あ…」
楸瑛と、その後ろから覗き込むような形になった絳攸がみたのは、背まである明るい栗色の髪を垂らした少女が四つんばいになって、逃げ出そうとしている何とも間抜けな姿だった。
「もしかして、劉輝様ですか?」
二人分の視線を集めたその少女は、名を呼ばれると気まずそうに目を反らす。そして立ち上がると、黙ってスカートを軽く払う。
「いかにも、私が紫劉輝だ」
正体を知られてしまった以上、誤魔化すのは困難と判断したのか、正直に名乗りをあげる。
「何故、学園長であるあなたがこんなところにいるのです?」
「私は、まだ学園長ではない。学園長の椅子はまだ決まっていない」
劉輝は楸瑛の問いには答えず、二人にとってはどうでも良いと思えるところを訂正する。
「呆れたな。盗み聞きか?挙句にその格好はなんだ」
絳攸は、床を擦った為、埃によって白くなったスカートを指して、冷たい視線を投げかける。
「別に聞こうと思って、聞いていた訳ではない。私がここにいたら、二人が入ってきたのだ。そうしたら、私のことを話しているし…」
「何だ!言いたいことがあるならはっきり言え!」
ごにょごにょと何やら更に口の中で言い募りながら、劉輝は視線を泳がせる。
その様に気短な絳攸がついに声を荒げる。
「その、そなたたちはシスター霄に、頼まれて私を引っ張り出すように言われたのだろう?」
「まぁ、そうなりますね」
「だが、そなたたちは、それが嫌なのだろう?」
劉輝の言葉に楸瑛と絳攸は何を言い出すのかと顔を見合わせる。
「ならば、私のことは放っておいてくれないだろうか。私は学園長になどなりたくないし、なるつもりもないのだ」
だから、目立つことはしたくないと告げる。
「ふざけるな!」
絳攸に一喝された劉輝は目を丸くする。
「さっきから聞いていれば、うだうだと甘えたことばかり言って!」
まるで、全てのことから目を背けたいともいえる劉輝の発言に絳攸は柳眉を吊り上げる。
このような人物に協力を仰ぐなどこちらから願いさげとでもいいたげに、覇気のない劉輝を見下ろす。
「私は、ひっそりと暮らしたいのだ。この学園も、紫財閥の名も欲しくない。欲しいのは…」
言いかけて劉輝は口を噤む。まるで言っても詮無いことだと言わんばかりに。そのままスカートのプリーツを飲み込んだ言葉のかわりとばかりにきつく握りしめ俯いてしまう。
「とにかく、私のことは放っておいて欲しい」
劉輝はそう言って蒼い大きな瞳を伏せると、ゆるゆると頭を振るのだった。
「成るほど、貴方の考えは分りました。では私たちも貴方の前から去ることにします。そうしていつまでも世を拗ねて一人でいるといいですよ」
そう言って楸瑛は絳攸を促すと劉輝の傍らを通り抜けるのだった。
 
 
一人残された劉輝は、埃で白く汚れたスカートを見下ろし、俯いたまま小さく呟く。
「清苑姉上…」
大好きだった、片方だけ血の繋がった姉。実の親でさえ、劉輝に構おうとしなかったのに、
読み書きを教え、一緒に遊んでくれた何よりも大切な人だった。
それが、ある日を境に学園にもぱたりと姿を見せなくなってしまった。
毎日、毎日、今日は会えるだろうかと、彼女の姿を探し回ったが、二度と会うことは叶わなかった。
そうこうしている内に、学園長だった母が亡くなり、姉たちも全員学園から去った。
紫家の中で残ったのは劉輝一人のみで、シスター霄を始めとした、先代の相談役だったものたちは、劉輝に学園長になれと迫ってくる。
自分は、学園長などになれる器ではない。学園長として、この学園を切り盛りしていくに相応しいのは、子供たちの中で最も優秀だったと言われる清苑だけ。
今でもその考えは変わっていない。
「どこにいらっしゃるのですか姉上」
劉輝は夕日の差し込む、薄暗い図書準備室で、ふいに悲しくなり小さく嗚咽を漏らす。
一度零れ始めた涙は止まることなく、そのまま、しゃがみこみと、誰もいないことを幸いに泣きじゃくる。
「っ…く…えぇ…えぐっ」
「あの、泣いているの?」
ところがそれは、不意に訪れた侵入者によって、劉輝の涙は引っ込むことになる。







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