マリア様がみてる〜春〜 9

 





劉輝は静蘭、絳攸、楸瑛それぞれの演説を緞帳の裏にて、じっと耳を傾けていた。

彼女たちはそれぞれ、確固たる信念を持って、この選挙に挑んでいるのだということが、

ひしひしと伝わってきた。

自分はここに集まった生徒たちに何を一番訴えたいのだろう。
劉輝は絳攸にみてもらった原稿をもう一度読み返す。

繰り返し、繰り返し、暗記するほどに読み込んだ原稿。

けれど、それだけで良いのだろうか。劉輝には何かが足りない気がしてならなかった。
そのとき、自分の番を終えた静蘭が、そっと近づいてきた。

「何かお悩みですか?」
「静蘭」

静蘭は変わらない、優しい微笑を浮かべ、パイプ椅子に腰掛けた劉輝の隣に、しゃがみこむ。

「皆、とても立派なのだ。果たして私は、あれだけのことを言えるのだろうかと不安になったのだ」

その言葉に静蘭は、ほんの少し首を傾け、膝の上に置かれた劉輝の手に己の手を添える。

「劉輝さま。その原稿はあなたが、頭を悩ませて作成したものと思いますが、大切なのは、整えられた文章を読むことではなく、貴方の心を伝えることだと思います」
「心を?」
「ええ、そうです。貴方ならそれができるはずですよ」

見上げるようにして、綺麗に静蘭に微笑まれて、劉輝は心音が高くなる。

(この感じ…どこかで)

劉輝は出会って間もないはずの静蘭に時折感じる懐かしさにも似た気持ちに戸惑っていた。包み込むような暖かな優しさを与えてくれた大好きだった人。

「清苑姉上…」

思わす口から出た言葉に劉輝は驚き、口を押さえる。
だが、彼女は静蘭だ。第一、自分と同じ年である静蘭が姉のはずはない。
けれど、理屈ではなく、劉輝の中の感覚が静蘭を清苑だと訴えかける。

「あの、静蘭は―」

だが、劉輝が続けようとした言葉は、生徒達の歓声と次の出番を告げるベルの音によって、遮られた。

「さ、出番ですよ」

演説を終えた楸瑛が、優雅な足取りで、こちらへ戻ってくるのを目の端に捕らえ、劉輝は促されるままに、立ち上がる。

「劉輝さま、あなたなら、きっと良い生徒会長に、ひいてはこの学園の長に相応しい方になれると信じています」

静蘭は立ち上がり、壇上に向かう劉輝の背中を励ますかのように軽くぽんと叩き送り出してくれる。

劉輝はほんの少し触れただけの背のぬくもりと静蘭の言葉に、勇気が百倍にも二百倍にもなった気がした。

これだけの人数が集まっているというのに、しんと静まりきった、空間で劉輝は、壇上に向かう。

生徒達はこの突然現れた、生徒会長候補を品定めするかのように一挙手、一投足をも見逃さんとしているようだった。

だが、劉輝の心は不思議と静かだった。
先ほどの静蘭の言葉が蘇る。自分は自分の言葉で皆に伝えればよいのだと。劉輝は大きく息を吸い、緊張を和らげるように深呼吸する。

「私は、皆に聞いて欲しいことがある。まず、私は、前学園長の娘でありながら、今まで実にいい加減だったことを謝りたい」

劉輝の発した第一声に集まった生徒達はざわめく。

「一つ皆に聞きたいことがある。皆はこの学園が好きだろうか?私はとても好きだ。私はこの学園に通うことができることができて、とても嬉しい。今まで、そんなことすら気づかない、愚か者だったが、もし、私が生徒会の一員になったのなら、皆が好きなこの学園をもっと好きになってもらえるようにしたい」

それは、散々考え抜いた原稿のように具体的な言葉もなく、ただ、拙いだけの言葉だったが、今の劉輝にはこちらの方が、自分を分かってもらえるような気がしたのだ。

その結果、信任を得ることができなかったとしても、それは仕方がない。

そうしたら、また来年立候補すれば良いだけの話だ。

最も、絳攸は怒るだろうが。腕を組んで仁王立ちして怒りの炎を背にした絳攸の姿を想像すると少々怖いものがあったが、それはとりあえず、置いておくことにした。

「振り返って、とても楽しい学園生活だった。そう皆に思ってもらえるような学園に私はしたい。その為にどうすれば良いのか、私は勉強不足ゆえ、うまくいえないが、これから皆で考えていかれれば良いと思う」

だから、その為に協力をして欲しい。劉輝は言い終えると、晴れ晴れとした表情で、一礼をする。
しんと水を打ったように静まり返っていた体育館にやがて、ぱちぱちとどこからともなく、拍手の音が聞こえ始める。
それはだんだんと大きくなり、最後は津波のように広がり、割れんばかりの拍手に包まれる。

「まったく、劉輝様には驚かされるね」
「ああ、原稿と違うことを言い出したときは、あの馬鹿と思ったものだが、こうまで皆の心を掴むとはな」

緞帳の影で、劉輝を見守っていた、楸瑛と絳攸は、今も鳴り止まない拍手に自らのことのように誇らしげに顔を綻ばせている。
劉輝は間違いなく、人を惹き付ける何かを持っている。

それは、上にたつものにとって勉強ができるとか、そういったことよりも、もっと大切なものだった。演説を終え、劉輝は子犬のように小走りに楸瑛と絳攸の待つ場所へと戻ってきた。

「楸瑛、絳攸!私はやったぞ!!」
「お疲れ様です。劉輝様」

頬を喜びに紅潮させ、きらきらと輝く瞳でみつめられて、楸瑛は、いい子、いい子をするように亜麻色の髪に手をつっこみ少々手荒に、かき混ぜる。

「何がやったぞ!だ。馬鹿者。まだ結果は分かっていないだろう!」

絳攸に叱られて、劉輝は肩を竦める。

さながら飼い主に叱られた犬のように見えない耳と尻尾を垂れさせる。

そうして、一通り二人と喜びを分け合った後、劉輝の迷いを払拭してくれた今回の成功の功労者とも言える静蘭に礼を言おうと、その姿をきょろきょろと見渡すが静蘭の姿がどこにもないことに気がつく。

「静蘭は?」
「静蘭なら、先程どこかへ行きましたよ」

選挙の片付けをしていた生徒がパイプ椅子を畳みながら劉輝の問いに答える。
一体、どこへいったというのか。それは誰に聞いても皆首を傾げるばかりで、明確な答えは返ってこない。

「劉輝様」

静蘭の姿を聞いて回る劉輝に楸瑛が声をかける。

「これを静蘭から預かりました」
「これは!」

劉輝の手に載せられたそれはライトの光に反射してキラキラと輝く、細い銀の鎖に繋がった十字架で、紫の石が埋め込まれシンプルなデザインの中で存在感を増している。

「このロザリオを何故静蘭が?!」

小さい頃の大切な思い出。学園の片隅でひっそりと泣く劉輝を、いつだって見つけ出してくれた大好きな二番目の姉が首から提げていたもの。

とても美しいデザインのそれは清苑にとてもよく似合っていて、幼い劉輝はうっとりと綺麗な姉を眺めたのを覚えている。

どれだけ時間が過ぎ去ろうと忘れられない思い出。

『ねぇ、劉輝。高等部ではね、姉妹制度というのがあるの』
『姉妹制度?』
『そう。姉が妹を導くように先輩が後輩を指導するっていう制度。それで、誓いをたてた二人は姉妹と呼ばれ、ロザリオの授受を行うの』
『姉上、私は他の誰かが、姉上の妹になるのは嫌です!』
『何を言っているの。劉輝。私は高等部に入ったら、あなたを妹にするつもりよ』

清苑はそっと白い手で劉輝の頬を包み込み、額と額をこつんとくっつける。

『だって、これはそのときの為に私が選んだものなんだから』

約束だといって、幼い二人は小指と小指を絡ませあったのだった。

 

 

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